【連載】心を動かすgoen°のデザインvol.1 「森本千絵」をつくった美大生時代

Mar 30,2018interview

#goen°

Mar30,2018

interview

【連載】心を動かすgoen°のデザイン vol.1 「森本千絵」をつくった美大生時代

文:
TD編集部

アートディレクター・森本千絵さんへのインタビュー第一回。生命力を感じる独特な世界観と表現力。今回は、彼女のデザインに対する考えが培われた「学生時代」について聞いてみた。

(前回の記事)【Sneak preview】心を動かすgoen°のデザイン

アイディアは一枚の絵を描くところから

博報堂では広告デザインを数多く手がけていた森本さん。グラフィックデザインやアートワークのディレクターという印象がありますが、幼稚園のデザインや、南三陸の商店街などソーシャルな場のデザインも手がけていらっしゃるんですね。

森本: はい。アイディアによって「メディアそのもの」を作りだしていく時代になったことを実感しています。メディアそのものを作り出すというのは15、6年前くらいから私がやりたかったこと。これは言い換えると、モノを作るのではなく「コトを作る」ということ。それが私のアイディアの新しさだったし、これからも必要なことだと感じています。立場や業種を越えて、みんなでひとつの仕事に携わっていけるのも楽しいですね。

 
Mr.Childrenの25周年記念ベストアルバムのアートワーク
ソーシャルデザインを考える際にはグラフィックデザインを手がける時と違うアプローチをするんでしょうか?

私自身は、広告デザインを手がけているときと一緒で、問題がどこにあるのか、どこに向かいたいのかをきちんと整理することを重視します。
クライアントさんから話を聞いて一緒に考えながら、そこに流れるBGMや感覚的な音色を想像して、アイディアを1枚の絵にするところからスタートします。

森本氏は企画を生み出す際、絵を描いてクラインアントやスタッフと世界観の共有を行うという。
事務所2階にある森本氏のオフィスには原画がたくさん飾られていた。

「絶対に広告の道へ進む」

中学生の頃に「広告デザインの道に進む」と決めた、とご著書にありました。どんな学生時代を過ごしたか聞かせてください。

高校卒業後、武蔵野美術短大に入学しました。本当は4年制の美大に入りたかったのですが、全て落ちてしまって……。浪人するつもりでいたら、短大の方でくり上がりの枠に入ったと連絡が来て、入学式の1週間前に入学が決まりました。入学式後に学費の振り込みをするというギリギリのスケジュールでした(笑)。

ただ、四大卒でないと博報堂や電通といった広告代理店に入社する権利がもらえないんです。小さい頃からずっと「目的のあるモノづくり」が大好きで、将来は必ず広告をやりたいと思っていました。広告業界に進むためには4年制大学に編入するしかない。だから短大の課題は、毎回みんなの倍作って提出するぐらい、積極的にやりました。広告の道に進むためになら、なんでもやろうという気持ちでした。

それから、短大と並行して広告の学校に2年間通っていました。
……でも間違えて、「コピーライター養成講座」を選んでしまったんです。
講座が始まっても、周りに美大生もいないし、デザインの課題も出されないなぁ、と不思議に思っていましたね。先生もコピーライターの方々ばかりがいらっしゃるので、あれ? と思って確認してみたらコースを間違えていて(笑)。

間違ってコピーライターのコースに(笑)。講義はどうでしたか。

それが、今振り返ってもためになる講義ばかりだったんです。
例えば佐藤澄子さんの講義で学んだクリエイティブブリーフは、その後の作品のまとめ方にかなり影響しました。佐藤さんの講義後、今までやってきた課題をクリエイティブブリーフに置き換えて、一から作り直したこともあります。

一から作り直し。すごいですね。
今思うと、編入試験のために色々とやりすぎちゃったかな(笑)。
短大の卒業式と成人式で着る予定だった振袖代も、ポスター出力のために使ってしまうほどでした。
短大の卒業式は成人式と同じ時期だったので、つい(笑)。
成人式の写真はスタジオの人のご厚意で、ポスターと一緒に撮ってもらいました。その写真もポートフォリオに添えて、編入試験で提出しました。
そしたら、及部克人教授が面白いと言ってくれて。念願叶って武蔵野美術大学の編入試験に合格できました。
ポスターと一緒に撮影した成人式の写真
短大から編入できるのは100人中数人。相当、狭き門だったと聞きます。どんなところを評価されたと感じましたか。

及部教授が評価してくれたのはポートフォリオに載っている作品そのものじゃなくて、クリエイティブブリーフをやっていたことと、成人式の写真が添えられていたことみたいでした(笑)。
それと、ポートフォリオの全体の組み立て方とか、精神的な部分を気に入ってくださったようです。
編入してすぐに、博報堂でクリエイティブディレクターの山本幸司さんの下について課題を出してもらったり、アートディレクターの方にコンテを見てもらったりしていました。

その頃から飛び抜けていらしたんですね。

いえ、そんなことないです。当時、私は大貫卓也さんに憧れてたんたんですけど、その大貫さんを育てた宮崎晋さんという方から「君の作品は、真面目すぎてつまらない。ビジュアルとキャッチフレーズとロゴを置いてポスター作って、広告をやっている気になっているでしょ」って言われてしまったんです。
私のポートフォリオを見て「アイディアそのものに斬新さ、面白さがない」と。
「アイディアがあれば、紙媒体じゃなくても、立体でも良いじゃないか」って。
「ポスターが紙だと誰が決めた?」と。

既存の枠にはまるな、ということでしょうか?
そうかもしれません。宮崎さんにそう言われたのは大学4年生の初め頃だったと思います。
その日から1年間で、コピーライター養成講座の課題も含め、これまでやってきた3年分の課題を全部、また一からやり直しました。すでに2、3回は作り直していたので、それだけで周りの学生の5倍ぐらいの量を作っていましたね。
他にも、コピーライター養成講座で優秀な10位以内に入ったコピーにポスターをつけていこうと思いたち、毎週10枚以上のポスターも作っていたので……結果的にすごい量になりました。
博報堂の就職試験の際には、手持ちではもちろん、車を使っても作品を運びきれなくて、2トントラックを使って面接会場に作品を搬入しました。
リクルートスーツは着たくなかったので、ハイブランドのスーツを買って、8cmのピンヒールを履いて、ネイルもメイクもばっちりきめて。
そんな格好で2トントラックの助手席に座って、面接会場に向かいました。
博報堂の入社試験で提出した作品「NIPON」。

頑張った質量が評価されたのか、プレゼンテーションが評価されたのか、ただ単に、見た目で気合いある女として見られて評価されたのか……。
何人も面接官がいたので一概に何がよかったのかは分かりませんが、念願だった内定を頂くことができました。

美大時代の友達が今のアイディアの引き出しに
 
 
 

続きは会員(無料)の方のみご覧いただけます。

※読者ニーズを適切に理解するために読者登録のお願いをしております。

この記事を読んだ方にオススメ