森の芸術大学から社会へ愛知県立芸術大学・白河宗利学長インタビュー

NEW Nov 28,2025interview

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森の芸術大学から社会へ 愛知県立芸術大学・白河宗利学長インタビュー

文:
TD編集部 藤生 新

森に囲まれた静かなキャンパスで、学生と教員が対話を重ねながら芸術表現に励む。愛知県立芸術大学(以下、愛知芸大)は、少人数教育と個別指導の伝統を守りつつ、社会と結びつく新たな仕組みを次々と立ち上げている。2026年春には、芸術の力を社会に循環させる新組織「VAUA(Value of Aichi University of the Arts)」の始動を控え、愛知芸大の動きが活発化している。森の中にありながら、社会と世界につながる大学へ──その言葉の真意を、白河宗利学長にうかがった。

白河宗利学長(提供:愛知県立芸術大学)

大切なのは確かな「審美眼」

愛知芸大のキャンパスは「森の中の芸術大学」と呼ばれています。大学の特色や環境的な特徴を教えてください。

白河宗利氏(以下、敬称略):1966年に創立した本学は来年で60周年を迎えます。名古屋市中心部から少し離れた丘陵地に位置しており、広大な森の中に各専攻・コースの建物が点在しているので、都会の喧騒から離れて制作に向き合える環境になっています。

彫刻棟(提供:愛知県立芸術大学)
講義棟(提供:愛知県立芸術大学)

芸術大学の中では、学生数に対して教員数が多いことが本学の特色です。美術学部の日本画・彫刻・陶磁・メディア映像専攻では、1学年10人の学生に対して常勤教員が6名。実技授業においては、個人指導体制になっています。

そんな環境ですから、教員が日常的に学生の作品を見てコミュニケーションをとることができます。学生同士が制作する音や気配まで伝わるので、作品に向き合う集中力や粘り強さも共有されているのではないかと思います。

愛知芸大からは、世界的なアーティストの奈良美智さんをはじめ、絵画系の優れたアーティストが多数輩出されています。その背景にあるものは何でしょうか?

白河:本学ではアーティストになるための「審美眼」が大切にされてきました。近年の学生は「どうしたら良い作品ができますか?」とすぐに答えを求めがちですが、美術における答えは自ら見つけていくしかないので「答えがないことが答え」ということを粘り強く伝えていくしかありません。

そのためには教員が近い距離感で制作に伴走しながら「その作品がなぜ成り立っているのか」「作者の意識の向かう先は?」といったことを問い掛け、表現が成立する条件を見抜く力、言い換えれば審美眼を養うことが実技教育の核にあると思っています。

学生の制作風景(提供:愛知県立芸術大学)

私は東京藝術大学の技法材料研究室の出身で、愛知芸大には30代になったばかりで着任しました。当時私に与えられたミッションは、油画専攻の学生に西洋絵画の古典技法を教えるというもの。
そこで最初に取り組んだのは、レンブラントのように「いわゆる古典技法」のような絵を描かせることではなく、とにかく徹底して基礎的な下地づくりを学んでもらうことでした。

下地をおろそかにしないことが、最終的な説得力につながるからです。逆にいうと、下地から作品を考えることを繰り返し説き、表層的な描き方は学生それぞれの個性に任せるくらいの自由度を持たせました。基礎をしっかりしようという考え方は、本学全体に共通するものかなとも思っています。

油画専攻の具体的なカリキュラムとしては、1年次の春に古典技法や材料学を徹底的に学ぶ時間があります。キャンバスに膠を引き、白亜地等の自製キャンバスを作製する工程から始めます。
2年次には複数の講座を横断的に受講し、3年次にはチュートリアルでの個別指導、4年次には制作と講評を通して「自分で作品をつくる力」を養います。

複合的な運営体制だからこそ

音楽学部と美術学部が共存していることも愛知芸大の特色ですね。

白河:はい、美術と音楽はともに芸術分野ではありますが、マインドは大きく異なります。美術では展覧会の期日までに作品を完成させるので、1日1日の制作作業の積み上げが大切になります。それに対して音楽では、演奏会の当日に最高のパフォーマンスをしないといけないので、自然とアスリート的なマインドが備わっていくんです。

プロの演奏家でもある教授とよく一緒に食事に行くのですが、演奏会の1ヶ月ぐらい前になると食事に誘っても来なくなる。そして演奏会当日になるとLINEの返事も来なくなって、演奏会が終わるとまた普段通りに戻るというサイクルになっているんですね。

美術には“制作を重ねて積み上げていく時間”が流れているのに対して、音楽には“その瞬間に最高の演奏をする時間”が流れている。その違いは普段の生活にも色濃く反映されていて、両学部が行事などで交わったときに、それぞれが過ごす時間の多様性を実感できて、学生にとっては、芸術的視野を広げる絶好の機会を得ていると思います。

愛知県立芸術大学管弦楽団 第35回定期演奏会の様子(提供:愛知県立芸術大学)
コロナ禍では、他大学に先駆けて実技授業を再開されたと伺いました。どのような判断だったのでしょうか。

白河:当時は全国的に大学でのオンライン化が急速に進みましたが、本学は芸術大学ですからアトリエや演奏室での個人指導が授業の中心だったので困ってしまったんです。

それで本学がとった対応は、国内では先駆けたものでした。実は愛知芸大は愛知県立大学との2大学でひとつの法人(愛知県公立大学法人)が運営母体となっているのですが、法人化の際に愛知県立看護大学と愛知県立大学が合併した経緯があるため、同じ法人の中に感染予防学が専門の先生がいたんです。

その先生の知見を基に、本学ではコロナ禍に際して徹底的に「換気」にこだわる方針を立てました。全教室でスモークテストを行い、空気の流れを一部屋ずつ確認して、基準を満たした教室から段階的に授業を再開。森に囲まれた環境なので、全開放しても楽器の騒音の心配はありませんでした。

その結果、全国的にも早い時期に対面授業を再開でき、学内感染もゼロにおさえられました。「安全を最優先にしながら、芸術教育を止めない」という強い意思を教職員全員で共有することができました。

奏楽堂(提供:愛知県立芸術大学)

アートで社会とつながるための新組織「VAUA」

2026年春には、社会連携を担う新組織「VAUA」を始動されると聞きました。どのような構想ですか?

白河:VAUA(Value of Aichi University of the Arts)は、愛知芸大の魅力を社会に伝えるための社会連携組織です。企業からの寄付金を原資に、学外からの期待に応えながら、愛知芸大の持っている「芸術の力」と社会をつなげる活動をしていきます。一般社団法人としての登記も完了して、2026年度春からスタートします。

VAUA ロゴ(提供:愛知県立芸術大学)

具体的な活動としては、愛知芸大が最も得意とする作品や音で社会を豊かにすること。アーティストや音楽家を養成するための取り組み。アート思考でイノベーションを起こすための講座。病院や福祉施設などに芸術的支援を広げていくケア×アートの活動。クライアントからのデザイン発注や演奏者派遣などを担う芸術コンテンツの提供。美術品・文化財を次世代に残していく事業などを中心に様々なアイデアで芸術と社会をつないでいくつもりです。

すでに、新聞報道を見て頂いた企業からの依頼や相談があり、社会が「芸術の力」を欲しているのを少しずつですが感じています。
また、「絵のお医者さん」としての修復や「文化財を継承する」模写部門の期待も大きく、美術館から仕事が依頼されてくることもたびたびあります。最近では、徳川美術館蔵の《長篠・長久手合戦図屏風》の復元模写を行い、学内の展示館で公開しました。

《「徳川美術館蔵『長篠合戦図屏風』」復元模写》(部分)愛知県立芸術大学蔵

この展示は話題になって、幸いなことに学外からも多くの来場者が足を運んでくださいました。こうした文化財を継承していく活動は、将来的には収益化が期待できるものでもあります。しかし現状では予算が十分とはいえず、運営資金の確保が課題でした。こうした活動を軽やかに回していくためにも、支援者が直接VAUAに出資できるようにするなど、実務レベルでこの組織が機能してくれることを期待しています。

保存修復を通した文化の下支えは、先ほどの「下地づくり」や「審美眼」というお話とも通じるような気がしました。

白河:そういう意味では、本学では先進的な表現とアカデミズムを同等に大事にしているともいえるかもしれません。メディア映像専攻が先進的な映像表現を教えているすぐ近くで、陶磁専攻では、ろくろを回している学生がいますから。

他大学や企業との連携事例も多いですね。最近の取り組みを教えてください。

白河:代表的なのは、名古屋工業大学との「ARTFUL CAMPUS」です。工学と芸術を掛け合わせ、キャンパスをアートで彩るプロジェクトです。アーティスト・イン・レジデンス形式での作品制作や、共同研究、卒業制作からの選抜展示など、理系大学の空間に「感性の回路」を持ち込む試みです。

「ARTFUL CAMPUS」展示風景(提供:愛知県立芸術大学)

また「ナゴヤイノベーターズガレージ賞」という連携もあります。名古屋市のイノベーション施設に、卒展から選ばれた学生の作品を展示し、賞金を授与して1年間設置する仕組みです。
来訪者には企業家や経営者も多く、学生が社会と接点を持つ大きなチャンスになっています。作品が“消費”されるのではなく、社会の中で呼吸し続ける。その感覚を体験できる場にしたいと考えています。

教育の中で「安売りをさせない」という姿勢も強調されています。

白河:学生にチャンスを与えることは大事ですが、マーケティングに偏って早すぎる露出や低価格での販売はよく考えるようにと指導しています。青田買いのような形で市場に出ると、成長の機会を奪うことにもなりかねません。アーティストとしての価値をきちんと育てるために必要な時間を確保する。それが芸術大学の役割だと思います。

芸術家を育てるだけでなく、生き方を育む教育へ

再始動を予定されている「芸術家になるにはどうしたらいいですか?」講座についても詳しく伺えますか。

白河:この講座は2017年にスタートし、好評を博しました。コロナ禍で一度中断しましたが、今夏から再開しました。講師には、アーティスト、公認会計士、ギャラリーディレクター、学芸員など多様な専門家を迎えます。
内容は、ポートフォリオ作成、税や契約の知識、モノづくりの活かし方、そして先輩作家の実例紹介など、実践的なキャリアデザインに踏み込んだものです。

芸術家になるというのは、流行りの言葉でいえば「アントレプレナーとして起業する」こと。創作と生活を両立させる現実的な知識と強い意志が欠かせません。
ただし、講座名の通り「芸術家になるには?」を考えることは、芸術家にならない選択肢を見つけることでもあります。つまり、自分なりの幸せの形を設計すること。芸術を学んだ人間の“生き方の解像度”を上げる場にしたいと思っています。

白河宗利氏(提供:愛知県立芸術大学)

最後に、白河学長が考える「これからの愛知芸大らしさ」とは?

白河:愛知芸大には、創立当初から森の中でじっくりと芸術を学ぶ文化があります。技術や理論の基礎を大切にしながらもそこから生まれた新しい表現を許容する懐があり、芸術表現の確かさを重んじる。この伝統が社会との接続においてもブレない軸になっています。

そのうえで、今後はより軽やかに外へ開くことが必要だと思っています。大学が社会に出て行き、企業や自治体、地域住民と協働しながら、芸術の新しい価値を生み出す。「地に足」と「軽やかさ」──このふたつを両立させることが、これからの愛知芸大らしさです。

森の中で学び、社会や世界と呼吸を合わせる。そんな芸術教育を次の世代に引き継いでいきたいと思います。

 

白河宗利(しらかわ・のりより)

愛知県立芸術大学 第12代学長。画家/西洋画における技法材料の研究者。東京都出身、1993年、東京藝術大学 油画専攻卒業(平山郁夫賞、サロンドプランタン賞受賞)、1995年、東京藝術大学大学院(油画技法材料研究室)修了。東京藝術大学非常勤講師等を経て愛知県立芸術大学に赴任し現職に至る。画家としての作品発表活動の他に西洋画の技法と材料の研究をおこなっている。2024年、第12代学長に就任。

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