連載を通じて「美大生」になったTD編集長
藤生:今回は、TDが取り組んできた美大シリーズの総決算的な座談会です。実はサイドストーリーがありまして、本日同席している編集長が、このシリーズを進める中で現役の美大生になるという展開もありました。
アリ編集長:全然美大とか関係なく普通にこの業界に入って、昔、「いずみや」っていう画材店があって、僕の仕事人生はその店員から始まったんです。版下・写植・紙焼きの時代からDTP黎明期、インターネット&WEBデザイン黎明期、スマホ&SNSマーケティング、そしてメタバース、AI黎明期までデザインの潮流を全部見ることができました。で、このシリーズを編集していくなかで「美大に入れないかな」と。
仕事との両立を考え、京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)の通信に入りました。東京の神宮前に学舎があるのでそこで学んだり、出張先では学校の掲示板を通じてその地域の同窓生に会って、今どういうことをやっているのかを聞いたり。だいたい僕より(人生の)先輩が多かったのですが。
今は卒業単位はほぼ取れていますが、卒業するのが惜しいのでもう少し大学にいようかなという感じで、美大生をやっています。
藤生:ということで、本日はこの美大シリーズで人生が大きく変わってしまったアリ編集長を交え、お話しできればと。まずは地域社会とのかかわりについて聞いていきます。
東北芸術工科大学(以下、芸工大)の中山学長は以前、東京芸大などは「芸術を学ぼう」という発想から生まれたのに対し、芸工大さんは「社会の中にアートやデザインが必要だ」という社会要請から生まれた、とお話しされていました。本日の三大学にも共通点があるのではと感じています。まず中山学長、いかがでしょうか?
「新しい公」を目指す東北芸術工科大学(芸工大)の現在地
中山 ダイスケ氏(芸工大学長・以下敬称略):前提として、東北芸工大は私立なので悠長なことは言っていられない、という危機意識があります。有泉さんが入学された京都芸術大さんと同じ瓜生山学園と姉妹校でして、どうやって生き残っていくか必死でやっているところがあります。
34年前に、なぜか山形に公設民営の芸術大学が作られた。山形県と山形市のお金が150億円入って、東京の美大の地方版のような大学を作ったんです。東京まで行かなくても通える美大、ということですね。芸術とデザインがはっきり分けて、通ってくれる教員、地元で働く作家やデザイナー、首都圏で引退されたデザイナーさんらに声をかけたようです。
でも時代が進み、今や人口減少・少子化・高齢化・インフラ老朽化など、社会課題は山積しています。そうした流れの中で、地方から東京のアート・デザインシーンを目指すための大学としてだけでは機能できなくなったのが正直なところです。

最もジレンマを抱えたのは、地域のお金で作ったにもかかわらず、卒業生の多くが県外へ出てしまうという事実です。そのことに対して我々も襟を正し、この地域にどう貢献するかを考え始めました。
社会課題の解決も行政頼みになりがちで、補助金をお願いするだけで自分たちでなんとかしようとしなかった時期が続きました。しかし当大学を卒業し、地域で活躍する優秀な卒業生たちのおかげで「芸工大はこんな風にアプローチするのか」という評価が少しずつ生まれてきて、大学の立ち位置や存在価値が上がってきたのが現状です。
3年前、全体方針を決めるときに、理事長が「新しい公(おおやけ)を目指す」と言い切りました。私立なのに公を目指す、つまり「行政が抱える問題の解決や、地域の未来をデザインするような仕事を大学で受けていく」と宣言したんです。東北芸工大のありかたというのもあるんですが、そうしないと他の美大さんとの違いが生まれません。また、うちの受験生の併願先は山形大学、仙台の東北学院大、東北福祉大などで、一般大とも比べられる特殊な状況です。だから「美大の一部」だけではなく「地域大学の一部」としての姿も見せなきゃいけなくなった。
日頃から広島市立大学さんや金沢美術工芸大学さんの活動はベンチマークさせていただいていて、地域とのどのように関わっておられるか、先生方とも情報交換しています。
おかげさまで数字は伸び続け、今年も受験生は増え、学科コースも増やし、定員を増やしました。このご時世に大丈夫かな?と思うくらいですが、なんとかやれている感じです。
藤生:ありがとうございます。続いて金沢美術工芸大学(以下金美)から山村学長、今のお話を受けていかがでしょうか?
戦後復興化で生まれ、市民に守られてきた金沢美術工芸大学
山村 慎哉氏(金美学長・以下敬称略):金沢美大は2026年に創立80周年を迎えます。戦後、日本がこれからどう歩むべきか模索していた時代に、金沢市民から「大学を作りましょう」という声が上がり、それが出発点となりました。専門学校から短大へ、そして4年制大学へと発展してきました。
金沢は古くから美術工芸や文化に力を注いできた土地柄で、市民の意識の中に美術工芸が深く根付いています。戦後の混乱期において、まず「美術」を立ち上げようとした——その市民の意志に支えられて歩んできたのが金沢美大だと思っています。
施策面においても、美大に限らず文化への市税投入額は全国1位で、2位以下を大きく引き離しています。その一方で、「守られて当然」という空気が生まれ、市が金沢美大にあまり関与しなくなってきている面もあります。
大学の自治を尊重いただけることは非常にありがたいのですが、「資金は出すので、その範囲で運営してください。口は出しません」という姿勢は、ある意味で危惧すべき状況でもあります。
これからは少子化の進行も踏まえ、市長の考えのもとで大学のあり方を真剣に考えていかなければなりません。80周年に向け、新しい大学像を検討するワーキンググループも立ち上げたところです。
金沢という都市の特性ゆえに他地域から羨望されることもありますが、根本的な課題は全国の大学と同様に抱えています。ここから未来へどう舵を切っていくか——今まさに議論を深めている段階です。

藤生:山形は全国で唯一、県立の美術館がない県というお話もあり、ある意味、金沢とは対照的ですね。
中山:そうですね。金沢(美大)さんは文化都市として生まれるべくして生まれた。行政がそこまで文化にお金を使うのはすごい。だからこそ、国際的にもたくさんの方が金沢を目指す。21世紀美術館も素晴らしい。金沢工業大もすごいですよね。大学界の風雲児的に、地方大学の生きる道を金沢工大が見せてくれた感じがしますね。
藤生:ありがとうございます。今のお二人のお話を聞いて、愛知県立芸術大学(以下愛知芸大)白河学長、いかがでしょう?
森の中の公立芸大、愛知県立芸術大学
白河 宗利氏(愛知芸大学長・以下敬称略):愛知芸大は来年、創立60周年となります。由来として、「東京芸大をひな形にして計画された」と聞いています。当時の桑原幹根知事の号令で「東京芸大に匹敵する芸大を愛知の山の中に作る」と。現在はジブリパークのすぐ横、森の中に、皇居も手掛けた吉村順三建築でキャンパスを作った。理念としては地域の文化振興のリーダーシップを取る、というのが枕詞です。
愛知県は財源があるので、僕が来た当初は予算的にも余裕がありましたが、2040年までに18歳人口が40万人減ると言われています。今はまだ少しずつ減っている段階ですが、10年後ぐらいにドカーンと来る。15年後の大学の様相は大きく変わるはずです。
当然「高く売れるうちに身の振り方を考える」という私大も出るでしょうし、運営をどうするかが社会問題になる夜明け前だと言えます。
だから大学のプレゼンスを上げる施策を各大学が考えねばならない。その一つが、地方に根ざすなら地方にどう貢献できるか。芸大なら「アートの力で地域課題をどう解決するか」が一つのキーワードになってきます。
当大学も同じような状況です。愛知県芸は名古屋市街から下道で1時間弱ほど走った場所に位置しており、ゴルフ場に入っていくような門のないキャンパスで、古き良き建物があります。奈良美智さんなどの著名作家も輩出しましたが、県内の知名度は十分だとは言えません。だからこそ、社会とつながる部分を表にきちんと出す必要があると考えています。

藤生:新たな取り組みを準備されていると伺いました。
白河:公立大学の弱点として、税金が入っているがゆえに予算執行が煩雑な点があります。おおげさに言うとボールペン1本買うにも起案書が必要なんです。ただ、法改正で公立大学でも株式会社を設立できるようになりました。
そこで社会連携機能のスピード感を出すために、大学と連動して動ける一般社団法人「VAUA」を立ち上げることにしました。
愛知芸大が持っている芸術の力で「社会問題を解決したり」、「アートによるウェルビーイング」につながる依頼を軽やかにまわしていくイメージです。企業さん等の寄付金や出資のみで回すスキームを考えています。寄附や出資をもとにスタッフを雇い、大学の取り組みもその人件費で回せるようにできたらと。
「森の中の地方大学」の良さを生かした環境もあり、これまでの学生は教授陣の背中を見て「作家になれる」という成功例にも触れられる。ただ、今は時代の流れが速すぎることもあり、アートを使って社会に繋がっていることを積極的に発信しなければ魅力が伝わらないのです。
10年で愛知芸大の新しいイメージを上げるのが大きなミッションですね。学内では色々な声もありますが、まずは動いて実績を作る、という順番でいきます。
中山:心から応援したいですね。ご苦労もおありかと。
藤生:行政との関係性は金沢とはだいぶ違う印象です。
白河:金沢は本当に街に愛されていますよね。飲食店でも「金沢美大の先生」と言うだけでサービスされるくらい(笑)。こちらは役人をどう説得するかという課題がある。愛知は交付金は下ろしてくれますが、それでやりたいことを全てできる訳ない。そういう意味でも発信して社会とつながることが必要なんです。
中山:当大学も地域へのプレゼンスをちゃんと作っていくのが課題です。来年から学長としての任期が2年延長となりましたので、ぜひ完成させたいですね。インキュベーションプロジェクトも立ち上げてみたけれど、まだ大してみんな起業しないので、山形大学や東北大学と連携し、自分たちだけでやろうとするのをやめました。仙台は近いし、仙台市の仕事も多い。連携を深めることで山形での認知も上がると考えています。
入試制度と学生の傾向
藤生:学生募集に関して、芸工大さんは美大以外との併願も多いという話が印象的でした。
中山:そうした状況も背景にあり、メインの入試では実技試験をなくしました。仙台や山形でも、美術の先生が週1回しか来ない高校もある。画塾のない地域もあり、都市部の予備校に通ってから受験するという環境とは大きな格差があります。
加えて今は、絵を描く時代から「作る時代」に変わってきている、という背景もあります。アイデアのある人が技術を身につければ、作家やデザイナーになっていけるというデータもあります。だからこそ、絵の素養だけを問わない入試にしたんです。一般受験の人が「ついでに」受けてくれるようにもなった。美大としての実技試験のハードルは高かったと思います。
藤生:実技は、予備校がある都市に暮らしていないと厳しいですもんね。
中山:はい。できれば美大出身の、熱心な美術の先生が1人いればいいのですが、なかなか美大受験の実技を教えられる先生は少ない、しかも非常勤となると……大学に進学させても、教員の評価に関係しないようなところも多いので。
藤生:幅広い学生の受け皿になっている印象です。金沢や愛知では学生の傾向はいかがでしょう?
山村:公立系大学はどこも同じだと思いますが、地元出身者はあまり来ないんです。県外からの受験生がほとんどで、むしろ地元をどう確保するかが課題でしょうか。卒業すると出身地に戻っていき、デザイン系は大都市圏に行くのが大半です。ただ近年、工芸科など金沢に残る人が増えているのは間違いないと感じています。展覧会助成や工房付き住まいの提供など、施策として「金沢にいた方が有利」的な仕組みもあり、外から来て残ってくれているというありがたい形になっています。
中山:金沢は「住みたい街」というブランド感もありますよね。
山村:特に伝統工芸が盛んで、支援も多いですね。
中山:うちの工芸の主力の教員も金沢出身です。デザイン工学部長は愛知出身の芸工大卒。街に特徴があるのはいいですよね。東北・山形は芸術の匂いが一切ない街だったと言うと怒られるかもしれませんが、町外れの山の麓に、よくこれだけの規模の美大を作ったなと思います。
藤生:山村学長へのインタビューで、金沢は伝統工芸が盛んだから職人家庭出身の学生が多いのかと思いきや、むしろ少数派で、そういう家は美大に行かせない傾向があるという話が印象的でした。現状はいかがですか?
山村:現在の日本の工芸は、外から見ると注目を集めているように見えるかもしれません。しかし、実際には産地は非常に厳しい状況にあります。生産額はバブル期以降ずっと下がり続け、すでに歯止めがきかない状態です。
そうした環境の中で育った子どもたちが家業を継ぐかといえば、それも難しい。むしろ、「工芸というものを知らなかったが、綺麗だなと感じて憧れて来た」学生たちによって、現在の金沢の工芸が支えられている一面があります。
能登で震災も起きましたが、実はそれ以前から工芸の振興は極めて難しい状況が続いています。やめる人がいる一方で、新しく始める人もいる——その新陳代謝によって、なんとか成り立っている。それが現状なのです。
藤生:震災という点だと、能登と東北で通じるところもあります。後編で深く聞いていきましょう。
学長鼎談「地方美大のいま」後編は12月26日(金)公開予定です。

山村慎哉(やまむら・しんや)
金沢美術工芸大学学長。漆芸家。1960年東京都調布市生まれ。1986年金沢美術工芸大学大学院修了後、個展や国内外の企画展などで活動し、1992年より金沢美術工芸大学の教員として赴任。精緻で凝縮された漆芸の加飾技法を中心とした制作研究を展開している。2024年から現職。

中山 ダイスケ(なかやま・だいすけ)
東北芸術工科大学学長、アーティスト、アートディレクター。アート分野ではコミュニケーションを主題に多様なインスタレーション作品を発表。1997年よりロックフェラー財団、文化庁などの奨学生として6年間、NYを拠点に活動。1998年第一回岡本太郎記念現代芸術大賞準大賞など受賞多数。1998年台北、2000年光州、リヨン(フランス)ビエンナーレの日本代表。デザイン分野では、舞台美術、ファッションショー、店舗や空間、商品や地域のプロジェクトデザイン、コンセプト提案などを手掛ける。2007年より東北芸術工科大学グラフィックデザイン学科教授、デザイン工学部長を経て、2018年より現職。

白河宗利(しらかわ・のりより)
愛知県立芸術大学 第12代学長。画家/西洋画における技法材料の研究者。東京都出身、1993年、東京藝術大学 油画専攻卒業(平山郁夫賞、サロンドプランタン賞受賞)、1995年、東京藝術大学大学院(油画技法材料研究室)修了。東京藝術大学非常勤講師等を経て愛知県立芸術大学に赴任し現職に至る。画家としての作品発表活動の他に西洋画の技法と材料の研究をおこなっている。2024年、第12代学長に就任。


