学長鼎談「地方美大のいま」金美・東北芸工・愛知芸大後編:社会と共にどう歩むか

NEW Dec 26,2025interview

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学長鼎談「地方美大のいま」金美・東北芸工・愛知芸大 後編:社会と共にどう歩むか

文:
TD編集部 青柳 真紗美

地方の美術大学は、社会とどのように関わり、変化の時代をどう生き抜いていくのか。後編では、震災や災害への向き合い方を起点に、文化財の修復・アーカイブ、産学連携の設計、学生像の変化、そしてAI時代における芸術教育の意味まで議論が広がった。地域の現場で積み重ねられてきた実践と、少子化・技術革新という大きな構造変化のなかで、美大が果たすべき役割と可能性を、三名の学長それぞれの視点から掘り下げていく。

写真提供:金沢美術工芸大学/東北芸術工科大学/愛知県立芸術大学

前回の記事:学長鼎談「地方美大のいま」金美・東北芸工・愛知芸大 前編:地域社会と美大

震災と美大

藤生:金沢では2024年の能登半島地震、山形では2011年の東日本大震災を経験しています。震災によって、変化や新しいミッションはありましたか?

中山:山形県は東日本大震災の被災地の一部ですが、直接の被害はほとんどなく、むしろ沿岸部への支援の基地として機能していました。学生もたくさんプロジェクトを作って被災地に行った。ただ、当時の学生は被災と支援を経験し、家族を失った人も多かった一方で、今入学してくる学生たちは、大人が慌てていたのを覚えている程度で、皆幼かったので、震災の記憶は薄れていっています。
そうした中で、芸術大学として初めて「アートとデザインで何ができるの?」を真剣に考え、現理事長の根岸が学長だった時代に、山形ビエンナーレという地方芸術祭を作りました。今でこそ各地で開催されるようになりましたが、震災がなければ地方芸術祭は生まれなかったかもしれません。

現在はビエンナーレを一度終わらせ、「県民と市民が学べる芸術大学」として「夏芸大」というプログラムを作り、スポンサーをつけて地域企業のお金で一般の方が学べる1週間の学校を開設しています。毎年「みんなで芸工大生になろう」、「街のクリエイティブ大学になろう」と。

「夏芸大」の様子(提供:東北芸術工科大学)

能登の地震を見て、改めて、山形の人たちも戦々恐々としましたね。人が少なく過疎が進む地域で地震が起こると支援が遅れる。山奥の集落につながる道を何十億円もかけて整備し直す可可能性はない、と判断されてしまう厳しい現実。山形も大雨や大雪で孤立する地域が多いんです。能登の震災は地域社会にとって「ぐさっと来た」出来事でした。

藤生:金沢からも学生や先生方が現地に行かれていましたよね。

山村:美大だけでなく、金沢にある大学全体で何ができるのかを考えてきました。本学では、石川県珠洲市などとの共同プロジェクトで制作した作品が損壊してしまったため、その修繕にも取り組みました。また、小・中・高等学校を訪問して作品を見せるなど、美術教育の面でも連携を図り、少しでも心が豊かになる機会を届けようと試みています。とはいえ、我々の力はまだ微々たるものです。大切なのは学生の意識です。「こうした状況のときに、芸術には何ができるのか」という問いを共有し、学生から生まれてくる発想や行動を大切につなげていく体制を築きたいと考えています。他大学とも連携しながら、少しずつ前へ進めているところです。

中山:東北の経験から言うと、僕らが震災の後で「芸大らしい支援」で役に立つことができたのは3年後くらい。人々が前を向き始め、小さなコミュニティができ始め、移住者の町ができ始めた頃に、コミュニティデザインのチームが入ったり、心の問題に寄り添ったり。壊れた直後は泥かきしかないですからね。震災後の支援を10年以上も続けられたことは、大学としても誇らしいプロジェクトでした。

修復・アーカイブで文化を守り、繋ぐ

白河:愛知も南海トラフが怖いですね。ただ、良い面としては、多くの災害を経て学芸員ネットワークができ、被災時に地域・国の文化財をどう守るか、意見交換が進みましたね。うちも文化財保存修復研究所を設置して、文化財を継承していく講座を開講するなどの取り組みをしています。

中山:うちには文化財保存修復センターがあって機器も揃い、学生や研究員もいます。震災当時は古文書を乾かしたり仏像修復をしたり……それらの取り組みが今もゆっくり続いています。予算はすぐ出ないので、預かって数年経ってようやく直す、ということも多いです。「地域の名もなき文化財」の修復には大学がずいぶんと役に立っていると思う一方、予算がつかないので、収益や採算という意味では引き受けすぎて困ることもありました。

藤生:修復や保全という観点と関連して、文化財の保管、アーカイブ機能もありますね。金沢の「平成の百工比照」など、文化を未来につなぐ取り組みについても聞かせてもらえますか。

山村:金沢について言えば、県には埋蔵文化財センターがあり、大学として修復案件を受ける機会はほとんどありません。本学には修復を専門とする教授が在籍し、個人的には平等院の研究なども行っていますが、大学としての受託体制があるわけではありません。その一方で、本学では、前田家が日本各地から収集した工芸技術資料「百工比照」を現代に再構築しようとする事業を、市から年間約700万円の予算をいただき、十数年にわたり継続しています。これは国内のほとんどすべての工芸産地についての―どのような工芸品があり、どのように制作されるのか―その工程見本や映像資料を整備し、体系的に閲覧できるようにするものです。これらの資料は図書館1階に収蔵され、学生は本を手に取るかのように自由に見ることができ、地元の職人の方々も希望すれば閲覧できます。これは、金沢が担うべき役割として意義があると考え、予算措置をお願いし実現したものです。

「平成の百工比照」の展示風景(撮影:編集部)

中山:金沢は技術振興研究所や職人大学校など、職人を育てる学校もたくさんありますよね。

山村:職人大学校は、植木職や大工など幅広い分野を含み、前の山出保市長の発案によって進められてきた取り組みが、今まさに結実しつつあります。金沢卯辰山工芸工房もその延長線上にあります。本学に学ぶ学生は、より本格的に、あるいは分野を越えて学ぼうとする若い世代、という位置づけになります。さらに、留学生においては工芸を志望する学生がとても多い状況です。今後は、リスキリングという観点から、リタイア世代が工芸を学べる仕組みをつくることも有意義だと感じています。共用工房の環境も整いつつあり、市の方針や教員体制が適切にかみ合えば、そうした新たな学びの流れへと展開していけるはずです。

産学連携をどう設計するか

中山:教員の体制作りは課題が大きいですよね。主にモチベーション問題。学生を育てるだけでも大変なのに、なぜ町の人にまで教えなきゃいけないのか、という気持ちが出るのも当然だと思います。

うちでは産学連携案件が年間100件以上。夏芸大では市民に教える講座の講師料を非常勤の相場より高くしたら、みんなやってくれるようになりました。産学連携も教育効果を作り出す仕組みにすれば、監修料を担当教員に支払えます。働けばプラスでもらえる仕組みにしたら、ナチュラルに運営できるようになりました。地域活性のプロジェクトは、学外からの経済的支援とセットでなければ続きません。

山村:本学の場合は産学連携が給与に直接反映することはないんですよね。研究室に予算はつきますが、人件費はなかなか。公立大学はどこもそうかもしれません。

白河:兼業兼職規定があり、公的大学はスポンサーを募って特定企業を優遇するのを嫌う部分もありますから。そういう背景もあり、本学では一般社団法人VAUAを作った側面もあります。退任した先生の活用も考えています。地元に残る先生方は、人柄もわかっていますし。例えば音楽はクラシック人口が減っているので、レッスンを受けたい人と退任教員をつなぐなど。土日であれば良いレッスン室も空いています。(大学側の)事務に土日出勤してほしいとは言えないので、法人を使って運営できないか……なども構想に入れています。

中山:素晴らしいですね。大学は実質、8か月しか稼働していないんです。4か月も素晴らしい施設が空いているのは本当にもったいないですよね。一般開放できたら何よりだと思います。レンタルも需要はあると思いますが、公立大の場合は特に、公的なお金で作った教育施設をどう公に活用できるかという議論はありますよね。

2021年の中山学長取材時。芸工大と企業のコラボレーション(撮影:編集部)

多様化する学生の傾向とギラギラしない時代感

中山:最近、「食文化デザインコース」を作ることになりました。食分野は世界に誇る日本の芸術だと言われるのに、文化庁・文科省の管轄ではなく、厚労省・経産省の所掌で、実は芸術文化として位置づけられていない。このままだと食分野からは人間国宝も出ない。苦労の末に、ようやくデザイン工学部の中に小さな「食文化コース」を立ち上げます。27年にはキッチン付き講義室も整備予定で「食からデザインしていく人」を育ててみようと。山形は農業大国でもあるので、山形らしい芸術大学というプレゼンスにもつながるはずだと感じています。
他にも、コミュニティデザインなど「ものを作らないデザイン学科」も活況。絵を描かない人が集まり、絵や映像を作る人と組んでいく。もしかすると、美大じゃなくなるくらいの変化も起きるかもしれません。

藤生:美大に来る学生は「アーティストやデザイナー志望」というイメージがありますが、実際には幅広いですよね。

中山:そうです。命懸けで予備校でデッサンして……という絵描き予備軍だけでないので、アンケートをとっても半分以下しか「プロになりたい」と答えない。将来のビジョンは大学で探そうという感じの人が多い気がします。

藤生:最近の学生の傾向についても伺いたいです。

中山:好きなものが似た人が多いと感じますね。多様化しているようで、お笑い・アニメ・映画・トレンド・アイドルなど、みんな同じものを見ています。だから当大学では「さまざまな好奇心が集まっている」とは期待せず、1人ずつ掘り下げる方針にしています。

白河:愛知はまだ昔ながらの予備校を経て、入学して来る学生が多いです。高校生の時に「アートの世界に行く」「デザイナーになる」と決断して入ってくる。とはいえサブカルの影響を強く受け、同じような感覚で絵を描きつつ、ものすごく上手い漫画も描く……という学生が多いと感じます。

「アーティストになるための方法」なんか、本当はありません。考え方と生き方の問題だと思っています。ただ、30〜40歳まで定職に就かず生き抜く術、考え方、アピールの仕方、税務の知識……そういった「現実」を教える必要がある時代になったことは確かです。

2017年頃からそうしたプログラムを実施し、学芸員や税理士を招いて大好評だったのですが、コロナで止まってしまった。今は県のステーションAIや名古屋市のイノベーターズガレージ、松坂屋のアートハブなど、地域の施設と連動して、愛知芸大以外の学生も含めて取り組み始めています。

2024年に開催された「こども愛知芸大」の様子(提供:愛知県立芸術大学)

山村:目的意識を持って入学してきたものの、思うように表現ができず悩む学生は増えています。自己表現が難しいと感じるなら、場合によっては方向転換を考えた方が良いこともあります。また、近年は「自分の表現を前に出したい」というよりも、「社会や環境のために役に立ちたい」と考える学生が増えてきました。目立たなくてもいい、社会の一員として幸せでありたい、といういわば“ギラギラしていない”美大生が増えているのです。

ただ、よく見れば誰もが確かな個性を持っています。それを無理に競わせたり、無理に表現を押し付ける必要はありませんし、大学に入る前からアーティストを目指している必要もありません。さまざまな価値観を持つタイプの学生を受け入れられる大学であるべきだと考えています。

藤生:学生目線として、アリ編集長。周りの学生・社会人学生の雰囲気はどうでしょう?

アリ編集長:山村先生がおっしゃった「地域の一員でありたい・役に立ちたい」という話は、僕と同じくらいの年代か、少し先輩の方からよく聞きます。「自分で何か作ったり描いたりしないんですか?」と聞くと、「そういうことではなく、いろんなものを広く柔軟に見る目を育てたい。自分が発信できるようになりたい」と。

「反対側」を知るーAIと美大

藤生:AIと美大についても伺いたいです。

山村:工芸は「手で作らなければ成立しない」領域なので、AIとは正反対のように見えるかもしれません。しかし私は、工芸の価値を考えるとき、むしろAIが発達し、どこまで出来るのかを追求してもらった方が、手仕事の価値をより深く感じられると思っています。AIは本当に素晴らしい。どんどん進化し、「ここまでできるのか」と驚かされます。その上で「では、自分とは何なのか」と立ち返ることで、初めて「自分」を見出すことができるのです。結局、大切なのは使い方です。手で作ることを軸にしてきた美術の世界だからこそ、AIがさらに浸透してきた方が、「そうではないもの」「手でしか生まれないもの」を考える契機になる。その必要性を人は自然に感じ取るはずです。だから私はAIを積極的に取り入れたいし、まずはよく理解してほしいと思っています。実際、学生たちは驚くほどのスピードで順応し、教員が知らないことをどんどん試しています。

白河:論文もAIでほとんど書けちゃいますからね。先生たちが見抜けないくらい。

山村:学内外から「これから大学としてどう取り組むのか」と問われていますが、私は、状況を慎重に見守りながら検討していくことでも十分だと感じています。むしろ、AIやデジタル化が進む一方で、その「反対側」を同時に深めていくことで、自分自身の立ち位置が見えてくる——その感覚を学生に持ってほしいと思っています。

中山:うちもAIガイドラインがようやくまとまりつつあります。卒業制作の下絵や仕上げにAIはすでに数年前から活用されています。積極活用の方針は山村先生と同じ。ただ、翻訳ソフトと同じで、日本語がきちっとしてないときちっと翻訳されません。プロンプトの時代なので、どう「使いこなすか」が重要な点かと。

ガイドラインで言えば、論文の参考文献キャプションと同じように、作品キャプションにどういう工程でAIを使ったかを書かせるルールを作りました。例えば「構図をAIに描かせ、素材を集めさせ、自分で手で描き、スキャンしてAIに色修正をさせ、最後に自分で彩色」なら2回AI使用。何%AIを使ったかを書かせるという議論もあったんですが、最終的にはプロセスを見せることを重視しています。

これからは「100%人間だけ」が作りあげる作品の価値も上がるし、「AIを上手に使う人間+AI」で制作していく姿も見えます。AIに頼りすぎて、つまらないものしかできないということも体験するでしょう。過渡期なので、まずは遊んで、最低限のガイドラインでやっていければと。

白河:先日、小さな絵画コンクールの審査に行ったら、作品を観た時に「あ、これはAI使ったな」と感じました。2割くらい。小中学生でも出してくる、そんな時代です。
AIにやらせられるところと、やらせられないところがあるとは思います。絵画も下地から作れば重層的な物質感があります。工芸でも、例えば「空気を抜くための練り」のような鍛錬は、人間でしかできない。そういう表に出ない鍛錬がアーティストの作品に宿るんです。AIだけで面白いものができても、表層はすぐ覆されます。温故知新で古い技法を学んだ上で新しいものを作る、というのがうちの底流にあると感じています。
クラシック音楽でも同じで、自分より上手い人がいる残酷さの中で日々練習し、鍛えられた人は、企業に入ると評価が高い。芸術教育は人間形成としても大事です。AIの対極にある人材育成をどの芸大もやっている、ということを知ってもらいたいですね。

縮小か変容か。社会の中の美大の役割

藤生:最後に、今伝えたいことをお願いします。

山村:少子化に伴い、国は美術大学に対して「定員を減らし、規模を縮小してほしい」と求めています。しかし、芸術への関心を持つ若者が増えるのであれば、縮小する必要はないと思っています。国は芸術の重要性を十分に理解していないのか、人口の減少と同じように芸術を志す層も減るだろうと見なしている。しかし、だからこそ私たちには、芸術が素晴らしく、若い人が学ぶに値するものであると伝えていく使命があると考えています。欧州を見れば、フランスやイギリスは日本の半分ほどの人口でありながら、芸術系の国立大学がいくつもあります。対し日本には東京藝術大学1つしかありません。この環境そのものに疑問を感じます。歴史も文化も豊かな国であるにもかかわらず、なぜ芸術教育に十分な力が注がれないのか。小中学校の美術の授業時間も削られている現状があります。だからこそ、AIの時代において「芸術に何ができるのか」を共に考え、議論していく必要がある。そしてこれは、芸術系大学全体で共有すべきテーマであると考えています。

中山:僕は「美大がなくなっていく」可能性も感じています。一般大学にアートやデザインを学べる場が生まれ、芸術学部も作られている。アメリカではコロンビア、イェール、スタンフォード大にもデザインを学ぶ授業がある。中高では美術・音楽の時間が減っていますが、大学でこそ、リベラルアーツとして増やすべきです。
これからは「心の時代」です。心を考える学問として芸術・デザインは全員が学ぶコア科目になる。どの大学でもアートとデザインの基本は学ぶ。さらに特殊なことは専門である美大・芸大で学ぶ、という住み分けでも良いと思います。美術大学が、例えば現在の体育大学のような存在になっていければ、日本社会は成熟したと言えるのではないでしょうか。

白河:「芸大体験プログラム」を大人・子どもどちらの層にもやっています。最近のトピックでは、名古屋・栄の愛知芸術文化センターの運営を、中日新聞・東海テレビで担い、愛知芸大も仲間に入れてもらいました。サテライトギャラリーとオープンスタジオを設置する方向で入札が通りました(27年度から整備予定)。森の中の大学だけでなく、街中の最大の文化施設で活動し、社会に伝えていければと思います。地域でまず始め、成功例を共有して、世の中全体を良くしていけるといいですね。本気で芸術を勉強する人が増えれば、数値化は難しいけれど、心の病も減るはず。「芸術の力」をしっかりと社会に伝え、知らせていきたいです。

藤生:本日は貴重なお話を誠にありがとうございました。

 

山村慎哉(やまむら・しんや)

金沢美術工芸大学学長。漆芸家。1960年東京都調布市生まれ。1986年金沢美術工芸大学大学院修了後、個展や国内外の企画展などで活動し、1992年より金沢美術工芸大学の教員として赴任。精緻で凝縮された漆芸の加飾技法を中心とした制作研究を展開している。2024年から現職。

中山 ダイスケ(なかやま・だいすけ)

東北芸術工科大学学長、アーティスト、アートディレクター。アート分野ではコミュニケーションを主題に多様なインスタレーション作品を発表。1997年よりロックフェラー財団、文化庁などの奨学生として6年間、NYを拠点に活動。1998年第一回岡本太郎記念現代芸術大賞準大賞など受賞多数。1998年台北、2000年光州、リヨン(フランス)ビエンナーレの日本代表。デザイン分野では、舞台美術、ファッションショー、店舗や空間、商品や地域のプロジェクトデザイン、コンセプト提案などを手掛ける。2007年より東北芸術工科大学グラフィックデザイン学科教授、デザイン工学部長を経て、2018年より現職。

白河宗利(しらかわ・のりより)

愛知県立芸術大学 第12代学長。画家/西洋画における技法材料の研究者。東京都出身、1993年、東京藝術大学 油画専攻卒業(平山郁夫賞、サロンドプランタン賞受賞)、1995年、東京藝術大学大学院(油画技法材料研究室)修了。東京藝術大学非常勤講師等を経て愛知県立芸術大学に赴任し現職に至る。画家としての作品発表活動の他に西洋画の技法と材料の研究をおこなっている。2024年、第12代学長に就任。

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