エジプトの現代アートは今こんなかんじ(後編)TD編集部のエディターズノート

Nov 15,2022column

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Nov15,2022

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エジプトの現代アートは今こんなかんじ(後編) TD編集部のエディターズノート

文:
TD編集部 青柳 真紗美

エジプトで2022年10月1日〜30日に実施された「カイロ国際アート地区 第二弾」(Cairo International Art District Second Edition)のレポート後編。カイロ・ダウンタウンの複数拠点で開催されたグループ展から、エジプトの現代アートの今を見つめます。

前回の記事:エジプトの現代アートは今こんなかんじ(前編)

まるでネコの三十三間堂?!  圧巻のCinema Radio

2つ目の会場「Access Art Space」を出て大通り沿いに10分ほど歩くと、3つ目の展示会場「Cinema Radio」に着いた。1932年にシネマコンプレックスとして建設されたこの建物は、エジプトの芸術や文化の発展をダウンタウンの中心地で見つめてきた。1970年に財政上の理由で映画館と劇場に分割されたものの、国民的歌手のウンム・クルスームがステージを披露したり、数多くの映画のプレミア上映の会場として使われたりした場所だ。現在は演目が上映されることはなく、イベントなどで利用されている。

Cinema Radio外観(運営会社のウェブサイトより引用)
ロビーに展示されたデジタルアート作品

ロビーには現代アートの今を象徴するようにデジタルアートと映像作品が並んでいた。その脇をぬけると、奥の劇場で展示されているのが「バステト・プロジェクト」だ。ネコのポスターを横目に会場に入ろうとすると、なんと本物のネコも待ち構えていた。

重いドアを押し開け、中に入ると劇場の座席に110体の「バステト」が鎮座していた。視線の先には舞台が映る。数多くの文化人や著名人が立った場所だ。

バステトは、古代エジプト神話におけるネコの女神である。エジプトでは国民の9割以上がイスラム教を信仰していると言われるが、人々は古代エジプト文明にも同じように誇りを持っている。古代エジプトは多神教で、イスラム教とはさまざまな点で違いを持つ。個性豊かに描かれる神々がその特徴の一つで、その中でも独特の存在感を放っているのがバステトだ。彫刻家のホッサム・ザキ氏によって作られたボディに55名のアーティストがペイントや装飾を施している。参加したアーティストは1名を除き、ほぼ全員がエジプト人だが、それぞれの解釈がまったく異なるのが楽しい。全て購入可能で、いくつかの作品にはすでに買い手がついたという。

信仰深い方々にお叱りを受けることを覚悟して書くと、さながらネコたちの三十三間堂のようだった。モダンな配色の中にも宗教儀式や民族衣装を連想させる作品が多く、テイストも様々だ。バステトは母性の象徴としても信仰されており、エジプトで今広がる女性のエンパワメントの動きにも共鳴しているようだ。この動画で、他の作品も覗くことができるのでぜひ見てほしい。

個人的に目が吸い寄せられたのはこのイブラヒム・カタブ氏の作品。龍神雷神のようにも見えるし、キリスト教の宗教画に描かれた天使のようにも見える。全身にまとわりつく布からは優雅な天女のような印象も受けた。燃え切った後の炭のような質感で全体が覆われることによって、精神世界の存在に重量感が加わっている。軽やかさだけではない、内側に秘めた獰猛さや恐ろしさも感じさせる作品だった。

エジプトではネコは街の日常的な風景の一つだ。カイロを歩くと5秒おきに野良猫に出会う。屋内の施設であっても、入り込んだネコたちを無理やり追い出す人は少ない。以前入国管理局を訪れた際、どういうわけか3階にあるビザの申請窓口で堂々と昼寝をしていて笑ってしまったことがある。5000年前からこの地で大切にされてきたネコたち。彼らがみな、実は特別な力を持っていたら……などと思わず考えてしまう。高揚した気分で劇場を後にした。

カオスに引きずられて

残りの2会場は、ここまでに紹介した3会場からは少し離れた場所にあった。4つ目の会場であるカイロアメリカン大学構内のファラキ・ギャラリーでは、作家であり同大学のアラブ文学の教授であるサミア・マハレズ氏の展覧会が催されていた。5つ目となる「founder’s space」では現代アートシーンで活躍する実力派アーティストたちの作品が選抜されていた。

カイロアメリカン大学からほど近いタハリール広場

最初の3会場で存分に浴びた多層感やカオス感を引きずっていたこともあり、どことなく「外向き」の作品という印象を受けた。しかし改めて考えると空間の力が作用していたのかもしれない。これらの作品が違う場所に展示されていたら、全く違う表情を見せただろう。総じて活気を感じる展覧会だった。若手スタッフが全5会場に均等に配置されており、アーティストの意図や背景などについても積極的に説明していて意外なほどに好感を持てた。

* * *

カイロに美大は指折り数えるほどしかないが、ヘルワン大学の美術教育学部は有名で、世界で活躍するエジプト人アーティストを多数輩出している。しかし2010〜2012年の「アラブの春」 以降、アーティストの卵たちがベルリンやイタリアなど、ヨーロッパへの留学を目指し移住する流れが加速したそうだ。
この展覧会では200名以上のエジプト人作家の作品に触れた。国内にこんなに多くのアーティストがいるのかと驚いたとともに、この催しがエジプト出身の海外で暮らすアーティストにどんなふうに受け取られたのかが少し気になった。

いずれにしても、CIADを通じて現代アートの裾野の広がりを見た気がした。富裕層のみを対象としたマーケティングの機会としてではなく、より広い層がアートを身近なものとして楽しむための機会が生みだされた。これはカイロ市民にとってもエジプトの現代アート業界にとっても画期的だったといえるだろう。無料イベントだったこともあってか、鑑賞者の年齢層が若かったのも印象的だった。スマホを片手にセルフィーを撮影し合う姿がそこかしこでみられた。

砂埃の舞う路地裏に現れた石造りの廃屋のような空間からスタートし、歴史を重ねたギャラリーを抜けて文化人の交流の場となったシアターに。海の向こうへの憧れと野心溢れる大学を経て、最後は瀟洒なギャラリーへ。カオスを内包しながら時を止めたようなダウンタウンの空気と、近代化しつつあるエジプトの姿。順路を辿ることで、この国のさまざまな面をあらためて見つめ直すことができたようにも感じられた。

 

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