山中俊治×寺尾玄が熱く語った「人とテクノロジーの未来」『AXIS THE COVER STORIES』トークセッション

Dec 07,2018report

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Dec07,2018

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山中俊治×寺尾玄が熱く語った「人とテクノロジーの未来」 『AXIS THE COVER STORIES』トークセッション

文:
TD編集部 藤生 新

2018年11月7日、山中俊治氏と寺尾玄氏によるトーク・セッションが行われた。会場は六本木にあるAXIS GALLERY。1997年から20年にわたり、デザイン誌『AXIS』に掲載されたデザイナー115組のインタビューをまとめた書籍『AXIS THE COVER STORIES ーInterviews with 115 designers』の刊行を記念して企画されたトークセッション・シリーズの最終回である。この日のテーマは「人とテクノロジーの未来」。歯が浮くような「未来」を語る空々しいイベントになるのではという心配などよそに、きわめて熱く「これから」を実感するトークが繰り広げられた。

AXISの表紙を見れば、その時代の「顔」がわかる

会場は、六本木・AXISビル4階のAXIS GALLERY。イベントの開始時刻よりもいくらか早く着きすぎてしまったため、ビルの中を散策していると、そこには実に多くの飲食店、ギャラリー、インテリアショップ、書店などが立ち並んでいることに気が付いた。業態こそ様々であるが、どのテナントも一貫して「デザイン」への意識の高さを感じさせる。まるでビル全体でアクシスの提案する「豊かな暮らし」を体現しているかのようである。

実際に、アクシスは長年にわたってそうした「提案」を行ってきた。その尖兵を担っているのが、1981年に創刊されたデザイン誌『AXIS』である。
雑誌自体に馴染みのない人であっても、色鮮やかなカラーバックの前に立つクリエイターの姿をおさめた表紙には見覚えがあるのではないだろうか。一度見れば忘れられない「『AXIS』の表紙」は、1997年から2017年までの20年間にわたり、115組ものクリエイターの姿をおさめ、時代の先端の思考を切り取るインタビューを行ってきた。

会場に展示されたAXIS誌バックナンバー

このたび、その全インタビューと追加コンテンツを収録した『AXIS THE COVER STORIES ーInterviews with 115 designers』が刊行される運びとなった。
11月7日に行われたトーク・セッションは、その刊行を記念して企画された連続トークの最終回であり、登壇者の山中俊治氏は同書に充実した論評を寄稿し、寺尾玄氏は「表紙シリーズ」の最終回を飾った人物である。「これからのデザイン」を語るうえでこの上ないシチュエーションが整えられたと言うべきだろう。

『AXIS THE COVER STORIES ーInterviews with 115 designers』

デザインエンジニアの山中俊治(やまなか・しゅんじ、1957年生まれ)氏は、腕時計から鉄道車両に至るまで、多種多様な工業製品をデザインする一方で、技術者としてロボティクスや通信技術の開発にもたずさわってきた。さらに、デザイナーになる前はプロの漫画家を目指しており、デザインに興味を持つようになったのも、それが「ものづくりと絵を描くことの中間点」にあったからだという。

バルミューダ代表の寺尾玄(てらお・げん、1973年生まれ)氏は、高校を中退して欧州を放浪後、帰国してバンド活動に専念。音楽活動で成功をおさめながらも、独学でプロダクトデザインを始め、2003年にバルミューダデザイン(現バルミューダ)を設立し、扇風機「GreenFan」に代表される数々のヒット商品を世に送り出している。

そんな個性派2人の組み合わせだ。最初にイベントの概要を知ったとき、「ほんとにこの人たちが『人とテクノロジーの未来』について話すの?」と若干の違和感を覚えたものである。そして、その予感は見事に的中することとなった。結局この日話されたのは、テクノロジーや先端技術などの「冷たい話題」ではなく、それを受ける人の心や体験を左右する「熱い話題」だったのだ。

家電ではなく「体験」を提供する

イベントが始まると、寺尾氏はバルミューダの象徴的なプロダクトの一つである「BALMUDA The Toaster」を紹介しながら次のように語った。

いま、ものづくりについて考える上で「どんな風につくればいいのか?」という問題があります。たとえば、ただ単に「これは素晴らしいトースターです」と言っても求められないと思うんですね。
でも、「これがあれば世界最高のトーストが食べられます」ということであれば話は別。つまり、バルミューダは「家電」ではなく「体験」を提供しているんです。
トースターにおける体験が生じるのは食べるとき。ですからぼくたちがつくった「BALMUDA The Toaster」は「素晴らしいトーストを食べるための方法」なんです。(寺尾)

写真はバルミューダ社のコーポレートサイトより引用

寺尾氏のこの語りが、ある意味でこの日のトーク全体を象徴していたといえる。
もの自体ではなく、ものから感じることに焦点を当てるということ──。
その内容を受けて、山中氏からは「美味しさは数値化できないのに、どうやってそれをプロダクトにしたのですか?」という質問が投げかけられた。
寺尾氏は以下のように続ける。

基本的に食品加工は化学反応の積み重ねなので、「こうしたらこうなる」というのはあります。何℃で何分焼けば焦げ目からアーモンドの香りがするとか、220℃で炭化する寸前で止めればカリッとして美味しく感じられるとか。
でも、「美味しい」と感じること自体は数値化できない。じゃあ何を基準にOKを出したかというと、最終的には「私が美味しいと思うかどうか」で決めました。(寺尾)

商品の開発過程で焼いたトーストの数は5,000枚にも及んだという。
そうして数値化を積み重ねた上で、最終的に「私」が出てくる。この意外性に、会場全体が惹きこまれていくのがわかった。

山中氏も「結局、最後の『私』が一番大事ですよね。ぼくも会社を経営しているのでわかりますが、創業者がいいものをつくれても二代目以降がつくれないということがあるとすれば、この『私』の部分に違いがあるからだと思います」と語る。

この話を受け、創業者である寺尾氏にとって会社は「戻れる場所」だと語った。

創業者にとって会社は「『私』が戻れる場所」ですが、二代目以降だと「守るべき場所」になってしまい、「私」が入り込む余地がなくなってしまいます。
私にとっては、もし会社が駄目になったとしてもスタート地点に戻っただけだから「まあいいや」と思える。その「まあいいや」の場所が創業者と二代目では全く違うんです。(寺尾)

プロセスを過剰なまでに積み上げ続けるものづくり

山中氏は、アメリカ・OXO社の大根おろし器をデザインしている。このプロダクトは2006年度にグッドデザイン賞を受賞した。バルミューダのトースターに関するエピソードに触発されるように、そのときの開発過程を以下のように語ってくれた。

会場に投影されたOXO社の大根おろし器

この大根おろし器をデザインするにあたって、たくさんの大根おろしを観察しました。
その時に気がついたのは、大根が一定方向にだけ動いていると、動かなくなる瞬間があるということです。
機械がつくった大根おろしの刃は大抵、まっすぐ一列に並んでいるので、その向きに大根をおろし続けると大根に溝ができて止まるときがあるんです。
でも、職人がつくるものは手作業で作るから、ズレがある。その結果うまくいくわけですね。
そこで、CADを使ってランダムさを意図的に盛り込んだ大根おろしをつくりました。最も効率のよい刃、穴の大きさ、ピッチなど、複数のサンプルをつくって、あとはひたすらみんなで大根をおろし続けたわけです(笑)。
「これは早くおろせるけど美味しくないな」など、いろいろと試して最適な形を発見しました。そういう地道なプロセスがものづくりには絶対に必要だと思います。(山中)

不思議なことに、全く違うものづくりに対するアプローチを持っていそうに思えた2人がこの「プロセスの過剰な積み上げ」という点においては完全に一致していた。

山中氏は「ぼくの他のものづくりでもそうですが、科学で最適なパラメータは生み出せても『解く』ところまではできません。フィールドワークと同じように実験を何度も重ねることが必要。その方法論が根底にあるところに、ぼくは寺尾さんとの共通点を感じます」と語る。
寺尾氏はそれに対し「人は五感で喜びを感じているので、最終的にはそこに訴えるべきだと思っています。そういう考えがバルミューダの根底にはある」と応答した。

しかし、さらに興味深かったのはむしろ両者の「違い」であった。
寺尾氏は「すごく美味しいラーメンを食べたとき、人に『あのラーメン屋、行ってみなよ』と言いたくなるときがあります。私はそれと同じように、この世界の素晴らしさを感じることが多い。それを伝えるためにデザインがあって、結局自分はその翻訳作業をしているだけなんだなと思います」と語る。

「素晴らしさを伝える作業」について、山中氏は「美しいものをつくることですか?」と問うが、寺尾氏の答えはノーだった。
「私は、美しいものには興味がありません。美しくないものを差し出すことは無礼なことだと思っているので、それは私にとっては礼儀の問題です。そうではなく、つくりだしたいのは感動の再現なんです」。

このやりとりの中に、二人の違いが見られた。
山中氏は「私は美しいもの自体を再現することにこだわっています。『機能的に優れたもの』と『惚れ惚れするほど美しいもの』を探求していく。自然の中にあるような、最終型の『作品』に近づいていくことができる」と語る。それに対して寺尾氏は、「いまご自身で『作品』と言われたけど、私にはそういう気持ちはゼロです」と返していた。

おそらく「作品」という考え方をめぐるこの違いは、2人が同じ「もの」をつくっているように見えたとしても、山中氏がつくっている対象が「もの(=プロダクト)」であるのに対して、寺尾氏は「こと(=体験)」をつくっていると言うべき違いなのではないだろうか。そして、「もの」と「こと」をめぐるこの差異は、いま「ものづくり」に関わっている全ての人にとって無縁なテーマではないはずだ。

「デザイン・シンキング」、寺尾氏の反応は?

最後に、「デザイン・シンキング」という言葉をめぐって交わされた2人の会話が印象的だったので、その模様を紹介して記事のまとめとすることにしよう。

まず山中氏から、次のような問いが投げかけられた。

デザイン・シンキングという手法があります。アメリカのデザイン会社の人たちが「デザイナーのように考えてみよう」と言って少し前にブームになった思考法で、その根本には「サイエンティフィックなこと」と「感覚的なこと」の双方に訴えるべき事柄をどう処理するのかという問題がありました。

いまその両者のリ・バランスがいろいろな場面で起きていて、それに名前を与えたのがこの言葉だったんです。それで当初は「このやり方を繰り返せばある程度いいデザインに辿り着ける」ともてはやされたわけですが、結局は(その前者にあたる)「直感的に優れた人」がいないと本当に優れたデザインは生み出せないねという結論に陥りつつあるのがいまのデザイン界なんです。端的に、寺尾さんはこの言葉についてどう思われますか?(山中)

寺尾氏のデザイン観、その実践が持つ現代性を問う意味で非常に的確な質問である。会場中が固唾をのんで見守る中、寺尾氏から出てきた反応は予想を遥かに超えて「現代的」なものだった。

「その言葉自体、初耳なんですけど……」

返答がなされた直後、一瞬会場が固まったあとに、どっとポジティブな笑いが会場を覆い、一気に場面がヒートアップするのを感じた。
デザインのこれからを考える上で、当初は誰もが予想したテクノロジーや先端技術などの話題は軽く追い抜かして、より熱く、実感を伴う形で力強い提案がなされたのを感じられる機会となった。

 

 

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