トム俣野氏インタビュー後記聞き手・藤本彰が次世代に送るメッセージ

Feb 02,2018interview

#Miata

Feb02,2018

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トム俣野氏インタビュー後記 聞き手・藤本彰が次世代に送るメッセージ

文:
藤本 彰

5回にわたりお届けしてきた、初代ユーノス・ロードスターのデザインを手がけたトム俣野氏へのインタビュー。今回は聞き手を務めた藤本彰より、インタビュー後記をお届けします。45年前に出会い、共に第一線でカーデザイン業界を見つめ続けてきた二人。俣野氏の「これまで」のお話をふまえて藤本が今語ったのは、次世代を担う若者たちへのメッセージでした。

名車づくりは企画・デザイン・価格が決め手

マツダの傑作車の一台、ユーノス・ロードスター(MX-5、Miata)のデザイン開発を通じて、俣野さんは実に多くのことを示唆してくれました。
何処の自動車メーカーにも言えることですが、名車が誕生するまでにはそれぞれに固有のドラマが紡がれ、発想した人、決断した人、企画を練り上げた人、デザインを磨き上げた人たちが存在します。そして俣野さんの言うように、購入した人たちの印象や喜びが語り継がれて、ようやく名車に育っていくのです。
作り手の思い入れが、どれほど買い手に伝わるかで勝負が決まる。成功のカギは企画力と優れた(独創的な)デザインや性能のほかに、低価格も大切な要素です。過去に人々の胸を揺さぶった車は例外なく買い得感のある販売価格でした。

2017年4月、マツダはロードスターの製造が累計100万台を達成したと発表。記念車を世界9カ国、35のファンイベントで展示し、その車体に1万人を超えるファンがサインの記入を行った。

環境の違いを情報で克服する

ヨーロッパ、アメリカ、日本のクルマ開発方法の相違も俣野さんは語ってくれました。
国土の狭い日本では、デザイン・スタジオも小さく、フルサイズのドローイングを描いてもそれを遠くから眺める距離がない。常に至近距離でデザインするから細部の造形に凝ってしまいがちになる。
現在ではパワーウォールなどのデジタル映像ツールである程度の吟味は可能ですが、決め手になるのは陽光の下で立体が示す形態美だといわれています。

オーストラリアのホールデンのスタジオでのこと。当時のレオ・プルノー部長と共に開発途中のモデルを眺めていて、二人の印象の違いに俣野さんは気づきました。それは身長差からくる目線の違いです。
今ではターンテーブルの高さを変更できるモデル・スタジオあるいは「メザニン」と称する中二階を備えたスタジオが一般的になりましたが、俣野さんのように海外で貴重な体験をしたデザイナーがCAR STYLING誌を介して様々な情報を提供してくれました。

大切なのは持続する意思

俣野さんのように海外で活躍した日本人カーデザイナーはこれまでに20名以上います。そして海外に出なくとも、カーデザイナーとして人々に誇れるいい仕事を成し遂げた人たちが日本には大勢います。

彼らに共通しているのは、早くからカーデザイナーを志し、目標に向けてたゆまぬ努力を続ける強い意志があったことです。好きな仕事を手に入れようとするのですから決意するのはさほど難しくはないでしょう。しかしいくつものハードルを飛び越えながらゴールを目指すには持続する根性が必要です。

そして何より大切なのは、自分のアイデアで人々を楽しませる「モノづくりの喜び」に強い関心を持つこと。それがクリエイターの第一歩です。自分の関わったデザインの車を多くの人たちが愛用してくれる、これこそカーデザイナーの使命達成感を味わえる一瞬であり、最大の悦びでしょう。

自動車は今大きく変わろうとしています。電子工学の発達に伴い、これまでになかった乗り物が現れそうです。Automotive(従来の概念の自動車)からAutonomous vehicle(自走車)へという革新が始まっています。地球環境保全のためのゼロエミッションカー(無公害車)へ、そして衝突事故など皆無の安全な乗り物へ。これが世界の潮流なのです。
それを実現するために、多くの企業が優れた人材を求めています。
デザインの分野では、過去の自動車美学を超えた新たな造形美を生み出せる人、自走車としてのインテリアのあり方を提案できる人、美学のほかに自動車電子工学の基礎知識も備えていたほうが存在価値の高いデザイナーになれるでしょう。

しかし最も大切なことはご自分の仕事への動機であり情熱です。
人に負けないものを持っていれば成功に必ずつながります。
この時代の変わり目に直接かかわり、自分の力を試す機会を得た若い人たちに大いに期待したいし、羨ましく感じているところです。

(文・藤本 彰)

 

お二人が出会ったのは1973年、アート・センター旧校舎の中庭だったとのこと。
45年間、共に異なる視座から自動車業界の「いま」と「これから」を見つめてきた彼らの視線の先には、もう次の「クルマの未来」が映っているようだ。

 

藤本 彰(ふじもと・あきら)

1937年、大分市佐賀関生まれ。1959年、三栄書房美術部に入社し、1969年に『AUTO SPORT』編集長を務める。1972年に日本初の日英両訳・カースタイリング専門誌「CAR STYLING」を創刊し、編集長に就任。同誌は世界のカーデザインに遅れをとっていた日本の自動車業界・カーデザイン業界に新風を吹き込み、業界誌、専門誌という枠組みを越えてデザイナーの育成という機能まで果たした。 1974年、独立。1979年、株式会社カースタイリング出版設立、代表取締役社長兼編集長。 2010年、CAR STYLING169号で休刊。 その他、日本自動車殿堂理事・イヤー賞選考委員会委員長、トリノ・ピエモンテカーデザイン賞審査員(1984-1997)、三菱自動車国際カーデザイン・コンペティション審査員(1997-2002)、ルイヴィトン・クラシック・コンクール・デレガンス審査員(2001-2004)、世界自動車デザイン・コンペティション(カナダ)審査員(2002-2005)、 2004 World Car of the Year 設立実行委員なども務める。

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