【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスターvol.1 初代ロードスターはこうして生まれた

Dec 22,2017interview

#Miata

Dec22,2017

interview

【連載】カーデザイナー・トム俣野とロードスター vol.1 初代ロードスターはこうして生まれた

文:
TD編集部

2017年初夏。初代ユーノス・ロードスター(海外名:MX-5 、米国名:MX-5 ミアータ)のデザインを手がけたトム俣野氏の来日に合わせ、TDでは独自インタビューを敢行した。聞き手は雑誌「CAR STYLING」初代編集長、藤本彰氏。当時を振り返って日本の読者に初めて語られるロードスターの開発秘話や俣野氏のデザイナーとしてのあゆみ、そして学生や若手デザイナーに向けてのメッセージを5回連載でTDの読者だけに特別にお届けする。

20年・30年先を見据えたコンセプト設計

ミアータは今見ても全く色褪せない、人を惹きつけるクルマですよね。

ポルシェやロータス、MGなどの名車って書店に行くとコレクターズガイドが出版されていますよね。発売された年、台数、スペック、モデル、カラーなどが歴史に沿って詳しく説明されていますが、僕は20年先、30年先にミアータのコレクターズガイドが出版されることを想定し、自分で先にストーリーを書き上げたんです。初代が発売され、2年目にはレーシンググリーンの限定車が発売される。3年目には、4年目には、というふうに、起こる出来事を想定したプランを書きました。

例えば2年目にレーシンググリーンの限定車がよく売れると、マーケティングは翌年、もう一度同じ限定車を出したいと言い出すわけです。ところが20年後のコレクターズガイドにこう書かれるんですよ、「マツダは1回目の限定車で成功を収めたので、欲を出して翌年も同じ限定車を作った」と。
「そんな恥ずかしいこと書かれていいの?」と僕はマーケティングの提案に反対しました。メーカーなら当然、車が売れるほうがいいに決まっているから、マーケティングが限定車を販売したいと言えば普通ならその通りにするんです。けれども長いスパンで考えた時、それはよくないと僕は考えました。せめて初回限定車と同じカラーの限定車を発売するのではなく、同じグリーンでもちょっと色味を変えたグリーンにするとか、あるいは次のモデルが出てから同じグリーンを使うとか。
売上だけを見るのではなく、4~5年経って街の人々がどのように評価をするかまで考えて作るべきだと思います。「マツダの一台」ではなく、「歴史に残る名車」を作ることを考えていたんです。

モデルチェンジに対して僕が考えたコンセプトはこうです。遠くに車が停まっていて100メートルの距離まで近付いたらミアータだと分かる。けれども50メートルの距離まで近付いても1代目か2代目かは分からない。30メートルほどの距離まで近付いたらようやく分かる、そんなファミリールックじゃないといけない。ただ3代目を出す時は、50メートルの距離ではっきりと3代目だと分かるようにしよう、と決めました。

余談ですが、ミアータを1代目から4代目まで並べると同じファミリーに見えます。3代目だけが少し異端。1代目、2代目は運転席からフェンダーが見える仕様だったのにボンネットを一次曲線でデザインしたから、シンプルできれいなんですがあそこだけ違和感があります。4代目はこのフェンダーが最もはっきり見えている点で称賛に値すると思います。

1998年に登場した2代目ロードスターNBは固定式のヘッドライトを採用。各部の改良、補強が施された。エンジンは引き続き1.6または1.8リッター。
3代目ロードスターNC。2005年に登場。全幅が1720mmと広がるなど全体的にサイズアップし、ボンネットが一次曲線でデザインされている。3ナンバーとなった。RHTと呼ばれる電動格納式ハードトップも設定された。エンジンは2.0リッター。
フェンダーがはっきり見えている点で「称賛に値する」と俣野氏が語る、4代目ロードスターND。2015年に登場。3代目からサイズダウンし大幅な軽量化を実現。2010年代以降のマツダ車に共通して採用する「SKYACTIV TECHNOLOGY」とデザインテーマ「鼓動」を採用。エンジンは1.5リッター。

「ねじ1本まで新しくしなければ新車ではない」

他のメーカーでは、同じファミリーでありながら全くデザインコンセプトが異なる車種があります。

確かにありますね。テールランプが初代は丸かったのに今は四角になっているとか。日本には「ねじ1本まで新しくしなければ新車ではない」という昔の考え方が根強く残っているんです。ねじを1本でもキャリーオーバーしたら新車とは呼べないと。ですから、特段悪いところのないサスペンションであっても換えざるを得ない。
サスペンションが4リンクから5リンクに変わると新車としての価値が上がるという考え方もあります。例えばBMWはトレーリングアームとリアドライブにこだわっています。ではフロントドライブは全く研究していないかと言えば全く違う。BMWの中にはフロントドライブだけを研究するチームがあるんです。BMWらしさを出すという点において、現状ではフロントドライブはリアドライブに勝てないから日の目を見ていないだけで、性能が逆転したとなれば、すぐにフロントドライブに切り換えられるだけの研究は続けているんです。
考えてみてください。大学を出てマシンエンジニアになり、ずっと日の目を見ないフロントドライブを信じて30年も40年も研究を続けている。あれがドイツ人の粘り強さ、恐ろしいところです。ところが日本人は、とにかく新しく、新しくするためにポンポン方針を変えます。

実はロードスターも、2代目は丸いランプを出したいという案が本社にあったんです。

俣野さんが信念を貫かれた?

マツダの販売台数は会社全体で見てもトヨタの1車種以下の台数なんです。だからモデルチェンジの度に四角だ、丸だって変更していたら、その車種ならではの特徴が失われ、人々の記憶に全く残らない車になってしまう。そのため3世代くらいにわたって共通の特徴を持たせて、ようやく総合台数による存在感が出てくるんです。であるにもかかわらず、他の日本車と同様に全てを新しくしていたらいつまでたってもマツダ・ブランドの認知度は上がりません。ファミリーで共通したコンセプトを守り続け、台数を増やしていかなければマツダという会社そのものが世界から消えてしまうことにもなりかねません。
車検制度のない米国では4〜5世代にわたる車が共存して街を走っています。こういった存在感の効果は日本では考えられないくらい重要です。当時米国における同ブランド複数保有データではフォードが20%、トヨタが18%で、マツダは6%程度でした。マツダ車を2台所有しているご家庭は少ないわけで、マツダは常に他のメーカーと比較される状況にあるので明確なコンセプトを打ち出しておく必要があるんです。

2014年4月にはニューヨーク国際オートショーにおいてロードスター誕生25周年を記念した特別仕様車「Mazda MX-5 Miata 25th Anniversary Edition」が発表された。
俣野さんが手がけたデザインコンセプトが忠実に引き継がれているのには、精神論だけでなく、そういった合理的な理由があったんですね。

ファミリーで守ってきたコンセプトを捨てて全く違うモデルを出してしまうと、ユーザーが違和感を持った途端にそれまでの歴史が吹っ飛んでしまいます。
4代目などは難しかったと思いますよ。それまでの世代と全く違ったものになってしまったら、ミアータクラブもそれまで培った25年以上の歴史も失われてしまうでしょう。ですから4代目を作るにあたってはミアータらしさを残さなければならない、けれども新しくもしなくてはいけないという葛藤があったと思います。3代目よりもサイズを小さくし、操作感は初代に戻していこうという流れの中でうまくゾーンにはまったと思いますね。つまりミアータの本質、体質は堅持しつつ、よりモダンで新鮮な方向であるべきで、今回はレトロであってはいけなかったんです。一方のゾーンはこれまでの延長線上のややレトロよりです。結果としてフィアット124スパイダーがこの方向で登場し、区別化が成立しています。

ところで、4代目がどういうデザインになったのか発表会が近付いてもマツダは私に教えてくれなかったんですよ。「心配しなくてもいい。俣野さんに教わったことはみんな活かされているから大丈夫だ」とか言って。でも僕はポーカーフェイスができないタイプですから「登場した途端に変な顔をしちゃうかもしれないぞ」と脅したんです(笑)。すると前日の夜にそっと見せてくれました。ロードスターの歴史がつながったことに安心しています。前田君中山君ありがとう。

ありがとうございました。次回も引き続き「ミアータ開発時の裏話」を伺っていきたいと思います。

※次回「カーデザイナー・トム俣野とロードスター vol.2」は12月29日(金)の公開予定です。

俣野 努(またの・つとむ)

1947年長崎市生まれ、東京育ち。成蹊大学工学部を中退し、渡米。世界的なデザイナーたちの登竜門であるアートセンター・カレッジ・オブ・デザインへ入学し学位を取得。卒業後は1974年にGMに入社。オーストラリアのGM Holdensを経て、1982年にBMWへ移籍後は3シリーズを手がける。数々の実績が評価されマツダに招かれ、初代ユーノス・ロードスター、3世代目のRX-7(FD)のオリジナルデザインなどを手がけ、マツダの開発システムにも多くの影響を与えた。 2002年から、サンフランシスコにある美術大学、アカデミーオブアートユニバーシティの工業デザイン学部の学部長を勤めている。

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