2度目の受験に向けて薔薇の花をスケッチする日々
私にとって運が良かったのは、渡米後、同じ英語学校に通っていた友人のお兄さんがアートセンターに通っていたことですね。お兄さんに作品を見せたら「これはアートセンターが欲しがっているものとは違う」とバッサリ。アートセンターは手描きの力を評価するのに、きちんとした絵を描いたことのない私はグラフィックデザインを一生懸命作っていたんです。その後、彼のアドバイスで、手描きの力を培うために薔薇を1ダース買ってきて毎日毎日スケッチしました。薔薇がしおれたらまた買ってきて、また描く。薔薇が描けるようになったら次は革靴。彼から見るとひどい絵だったと思いますが「これだったら何とかなるかも」と認めてもらえるまで努力しました。
アートセンターにはポートフォリオとして作品を12点提出するんです。そのうちの6点まで仕上げたんですが、残りの6点のテーマが決まらない。当時はインテリア・建築のデザインがしたいと思っていたので机や椅子を描いていたら、お兄さんから「お前、他に何か描けないの?」と。「車なら描けるかも」と描いてみたら、彼の友人にトランスポーテーションデザインを専攻している人がいてその絵の感想を聞いてくれたんです。彼のアドバイスに従って何度か描き直した作品をアートセンターに提出したところ、2日後に合格通知がきました。後で知った話ですが、ポートフォリオを出したのは審査会の前日。偶然にしてはいいタイミングでした。
やっぱり英語ですね。宿題を出されるんですが、肝心なところを聞き漏らしたり聞き間違えたりしていました。例えば「グレーのグラデーションで」という課題が出されても、縦方向なのか横方向なのか肝心なところが抜けている。だからみんなと作品を比べると、僕だけ違うものを作っているんです。
「ショールームの中にある車」というテーマなのに僕の作品ではショールームの外に車があったり。文化の違いから生まれる勘違いもありました。レンダリングの宿題で「街の交差点を描く」というテーマが出された時、バスを描いたらドアが反対側についていると指摘されたんです。そういえば日本とは車線の進行方向が逆だということに気がつかず、目的地とは反対の方向へ向かうバス停で待っていたことも実際にありました。
アートセンター卒業後、GMで学んだプロ意識
余談ですが、アートセンター在学中には、藤本さんが、モジュラー構想を元にして作った私の作品をご覧になってくださいましたね。「何とか記事にしたいから、もうちょっと詰めてくれ」とおっしゃっていただき、嬉しかった記憶があります。

はい。アメリカでは、バスケットボールにしてもフットボールにしても新しいタレントを発掘するために企業が大学のスポンサーにつくんです。デザインの世界も同じで、アートセンターでの最後のクラスはGMがスポンサーになっていました。デザイナーとスタジオ・エンジニアのペアが隔週で学校を訪れ、学生はテーマに沿ってデザインを開発していきます。
このプロジェクトを通して学生に目星を付けるんですが、最終日にGMの副社長まで務めたチャック・ジョーダン氏が来ることを知ったんです。それでチャックがこれまでに手掛けた作品を研究し、前日にチャック好みの絵を描いて提出しました。そうしたら翌日の面接時に彼から「デトロイトに来いよ」と言われ、GMに入社しました。

当時のGMはビル・ミッチェルデザイン担当副社長のもとでレトロ方向のデザインを推していました。僕としてはもっとモダンな車をデザインしたかったんですが、第一次石油危機による縮小前のフルサイズの車をデザインする機会は、今考えれば貴重な経験でしたね。 正式な訓練といったものはなくいきなりスタジオ配属でした。ジョーダン氏の配慮で、GMでもトップ3のデザイナー、トム・センプル氏の隣の席が用意されました。
彼はGMで最も絵のうまい人で、僕はその隣の席で彼の絵を学ぶよう言われました。しかし彼は1枚素晴らしいレンダリングを描くと、次の日は会社を休んじゃうんですよ。優秀で完璧主義者でしたね。ちょっとでもマーカーがにじむと、7割くらい描けているレンダリングでも惜しげもなく捨ててしまうんです。また、プロデザイナーとしての誇りも高かった。僕が遠慮がちに紙の隅にサインを書いていたら「お前、プロだろう、サインはタイヤとタイヤの間に堂々と描け」と言われました。「紙の隅に書いていたら、雑誌に載った時には消されてしまうぞ」と。
