UXのタテヨコナナメ vol.7場づくりのプロ、竹丸草子さんに聞いてみた

NEW Mar 29,2024interview

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UXのタテヨコナナメ vol.7 場づくりのプロ、竹丸草子さんに聞いてみた

文:
TD編集部 青柳 真紗美

デザインだけでなくビジネスやアカデミック領域からもUXを考えてみよう、ということで始まった当連載。第7回は自らの活動を「アートと人々が交わる場に身を置くコーディネーター」と表現する、竹丸草子さん。場づくりのプロ、竹丸さんが考えるUXとは?

撮影:Kazuhisa Tanaka(取材はオンラインにて実施)

前回の記事:UXのタテヨコナナメ vol.6 インプロ(即興演劇)の専門家、堀光希さんに聞いてみた

コーディネーターは、体験をどうつくっているのか

早速ですが、竹丸さんにとってUXを考えるとは何を考えることでしょうか。

竹丸さん:場づくり、という観点から体験についてお話しするということで良いでしょうか。
一つは「変わっていく関係性」を意識することが重要だと思います。「場」の持つ力ってすごくて、少し日本的な概念だと思うんですが、海外の方も英語に翻訳せずに「BA」と呼ぶくらい。もちろん物理的な場所はあるんですが、それだけではなく、何かが生み出されたり、関係性が醸成されたりする。それらの関係性が相互に働いたり、調整しあったりもする。そうした関係性の変容を予見し、意識して設計することが、体験を考えることに繋がっていくと思います。

加えて「それは誰の欲求に基づいているのか」を意識することも大切です。場づくりを考えるとき、既にそこには「こんな体験ができる」という想定がされています。でも、そこで(用意された通りに)体験するかどうかを決めるのは参加者本人であって、私たち企画側ではないんです。
企画する人たちは、それらの体験は参加者にとって価値があることだと信じていて、それは悪いことではないのですが、その人たちが本当にそれをやりたいと思っているのかを私は常に気にしています。

竹丸さんはいくつものワークショップを企画し、コーディネーターとして活躍していらっしゃいます。そもそも「コーディネーター」とは?

竹丸さん:私の専門はアート領域におけるワークショップのコーディネートで、具体的には学校や幼稚園、地域、福祉事務所でアーティストによるワークショップを企画・運営しています。ワークショップは協働が起こる場。作品や制作活動を通してアーティストと参加者の気持ちや思考のやりとりが生まれ、影響し合います。コーディネーターはアーティストと参加者と関係者の関係性を事前に構築して、そうした相互作用が起きるような場づくりをします。

環境を整えていくのもコーディネーターの重要な役割の一つです。関係者との綿密な打ち合わせはもちろん、会場の机・椅子の配置、扱う素材や道具の選定と提示の仕方、スタッフの配置、参加者とアーティストが関わるタイミングに至るまで細かく調整します。

コーディネーターとしての活動を始めたきっかけは。

竹丸さん:2011年に受講した青山学院大学のワークショップデザイナー育成プログラムがきっかけです。振り返ると子どもの頃からワークショップのようなことはずっとやっていて。大人になってからも自宅を会場として開放し、料理教室の先生を招いて料理教室を開いたりしていたんですが、青学のその講座に出会って本格的に学ぼうと思い立ちました。3か月の講座が終わった後に、コースの同級生と一緒に子どもむけのワークショップを立ち上げて、そこから本格的に入り込んでいきました。その後、「NPO法人芸術家と子どもたち」でアーティストのワークショップをコーディネートしたことが今につながっています。

ワークショップを企画する時はどんなふうに進めるんですか。

竹丸さん:まず忘れないようにしているのは、前後の文脈や環境によって、感じ方は人それぞれ変わるということ。例えばワークショップにお子さんが参加するとして、その子は朝お母さんとケンカして来たかもしれないし、来る途中で何か素敵なものを見つけて嬉しい気持ちかもしれないし、とにかくいろんなものを背負ってそこにいる。だからどんなに準備をしたとしても参加者全員に「いいね」と受け取ってもらえることはないと思っています。

そうした考え方が根底にある上で、イベントや企画を通じてこうなったらいいな、という想いはあります。それがそのワークショップで達成したいビジョンです。

そのビジョンが見えたら、そこからはひたすら、どんなふうに仕掛け、ファシリテートすると一番伝わるだろう? と考え抜きます。しかし、「こうなったらいいな」という想いは持ちつつ、ゴールは設定しません。

振り返っていい企画だったと思えるのは、現場でミラクルとも呼べるような「驚くべき出来事」が訪れたとき。しばしば、そこにいる人々が大切にしているものごとや、チャレンジする姿、驚き、嬉しさ、楽しさ、思考する態度などがその場に現れる瞬間があります。そこには関係する人達の意識を変えるパラダイム転換があるんです。

竹丸草子さん
撮影:Kazuhisa Tanaka
竹丸さんが手がけたワークショップで、印象的だった「驚くべき出来事」を教えてください。

竹丸さん:とある福祉施設でワークショップを行っていた時のことです。参加者は利用者と職員の皆さん。その回は全6回のうち、2回目で、参加者は自分で作った身体表現用の楽譜を使って身体表現を行い、最後に希望者が全員に向けて発表するという流れでした。終盤、Hさんという利用者の方が手をあげ、アーティストが叩く太鼓に合わせて踊り始めました。Hさんは日ごろ独創的でカラフルな素晴らしい絵を描きますが、身体表現はあまりしません。コミュニケーションもスムーズとは言えない時もあり、この時も発表前には積極的に参加している様子は見られませんでした。

Hさんが踊り出して少し経つと、アーティストが太鼓を叩くのをやめたんです。するとそこからHさんの踊りは大きくなって。会場は「このあと大丈夫かな?」と不安げな空気に包まれました。手拍子の雰囲気からも、会場全体がドキドキしながら見守っている様子がわかります。それはHさんにも伝わっているようでしたが、Hさんは踊り続け、数分後にしっかりとポーズを決めて踊りを終了させました。

福祉事業所麦わら屋でのワークショップの様子。
左:Hさん、右:大西健太郎さん(アーティスト)
(写真提供:竹丸さん)

会場は拍手喝采。Hさんからもやりきった清々しい表情が見られました。Hさんが、アーティストとの無言のやりとりの中から自分の表現を立ち上げ、踊り切るタイミングを自分で決めたというこの出来事は、普段のHさんを知る人にとっては非常にインパクトの大きいものでした。職員さんたちとの振り返りはHさんの話題で持ちきりで、数日後のワークショップでは「Hさんのように踊りたい」と踊る利用者の方もいたほどだったんです。

アーティストに後から聞いてみると、彼はHさんが遠慮しているように感じたといいます。太鼓のリズムに動きを合わせようと努力することが、踊りの主導権を太鼓が握っている状態に繋がっていることに気づき、あえて太鼓を叩くのをやめてHさんに場を任せた、と。もちろんそれだけではなく、太鼓を叩くのをやめた後も彼はHさんとともに表現する態度を示していて、そうした相互作用がHさんの表現を引き出したのだと言えます。

場をホールドする

そうした「驚くべき出来事」はどんな時に起きるのでしょうか。それらのためにどのような仕掛けをしていますか?

竹丸さん:私のワークショップではそれを起こすことは目的としていないし、再現性も求めていません。唯一私が心がけているのは、参加者やアーティストが自由に振る舞えることを私が保障している、という関係性です。

「場をホールドする」という言い方をするんですが、コーディネーターはいつでもその場のプロセスに介在できるようそこに内在しつつ、同時に全体を把握し、人やものの関係性を注視しながらプロセスを進行させます。包み込むように場を見守り、そこにいる人々が自分らしさやその専門性を発揮できるよう、働きかけます。そうすると結果的に、さっき話したパラダイム転換のようなことが起きやすくなる。逆にいうと、私がそこで何かを規定してしまうとそうしたミラクルは絶対に起きない。奇跡を起こしやすくするための条件の一つ、とでも言うと良いかもしれません。私はこのことを「コーディネーターの視座」と呼んでいます。

保障する、というのは言葉でするんですか? それとも態度で?

竹丸さん:ワークショップって、開催当日に全員が集まって突然始めるわけではないんですよ。例えば福祉事務所でワークショップを行う場合は、支援員さんとアーティストと私で事前にコミュニケーションをとり、関係性を醸成し続けている。「この人とだったら何をやっても大丈夫だ」という信頼関係が築かれている、それがまずすごく重要。

その上で、当日はアーティストに委ねつつ、何かが起きるのを見守る。でも見守りつつも何かあったら絶対に助ける、ということを彼らに保障する。アーティストが「何をやっても大丈夫。思いっきりいってこよう!」と思うことができている。その信頼関係ですね。ビジネス用語で言えば「心理的安全性」みたいなことなのかもしれません。

子どもたちとアーティストとのワークショップ
(写真提供:竹丸さん)

これは先ほどお話ししたのとは別のワークショップでの出来事なのですが、参加者に、発達障がいのグレーゾーンの子がいたんです。その子は苦手な音があって、場面によってときどき耳を塞いじゃう。そのワークショップは音楽とダンスだったんです。途中でその子が耳を塞いだんですが、アーティストは踊りながらそのポーズを真似したんです。先生は、普段はそうした様子をみると外に連れ出してしまうんだそう。でも、その日は私やアーティストに対する信頼があったからもう少し様子を見てみようと思ってくれました。

そのアーティストはすごく嬉しそうにその子についていって、一緒に耳を塞ぎながら踊りました。その子は「なんだかいつもと違うぞ」と気づき、自分起点で何かが動き出したという感覚になる。周りの子も「あそこで何かやっているぞ」と集まり出す。そうしたらその子、嬉しくなっちゃって。ネガティブな意思表示として耳を塞いでいたのに、最後はその子が「わーっ」って手を挙げて、周りのみんなも「わーっ!」って同じように手を挙げて。

一般的にはマイナスな行動だと捉えられるようなことかもしれません。でも、私は「(アーティストが)仕掛けにいったな」と思ったんです。そんなふうに、竹丸はわかってくれる、とアーティストがわかっている。それが大事。

コーディネーターがいない現場では、アーティストが自分で判断することもあります。でもそういう時はやっぱりどこか振り切れないんですよね。関係者や先生の顔がちらついて無意識にブレーキをかけてしまうと思う。それを、私がその場にいることで外してあげる、ということなのかもしれません。

余白のある状態をキープする

ここまでのお話をふまえて、竹丸さんが考える「良いUX」のルールを教えてください。

竹丸さん:あえていうなら「体験を設計する側が押し付けていないこと」ですかね。ぼんやりしてますが……。自分と相手の感じ方が同じだと思ってはいけない。一方で相手に合わせるとか、なんでもリクエストを聞けということではない。ただ「こうなったらこうなる」と決めつけない、余白のある状態が大事だと思います。

1mmも動かせない設計はよくない気がします。その場その場で立ち上がるものが必ずあるので。事前に設計していないとそれに気づくこともできないので、絶対に綿密な準備と細やかな配慮と、予測は必要。でも実際に行われるときには固執しない。そこで生まれているものを否定しないことです。

例えば、タイムスケジュールをビシッと決めていたとします。でも、今はすごく大事だ、と判断したら予定より長く時間をとったりとか。対話をしているときに少し長めにぐちゃぐちゃやらせたり、やり方の順番を変えたり、言葉を変えたり。

そういう変更って多分準備してないんですよ。「こうなったらこうしよう」とは決めていない。そこにいる人々の変容をみて、心が揺さぶられる瞬間を見極める。同時に、何が起きているのか、なぜそれが起きたか、を判断し、その場が進む方向性を提示していく。だから大事なのはそんな判断力かも。

このUXが面白い! という例があれば教えてください。

竹丸さん:最近、X(旧Twitter)で読んだ話なんですけど。品川区の小学校ではiPadがひとり一台配布されているんですが、利用できるアプリに規制がかかってるんですよね。コミュニケーションツールはブロックされていて、ソーシャルメディアもLINEも使えない。子どもたちがどうしたかというと、パワーポイントを使っていたんですって。

ファイルを同期すると同時に編集できるじゃないですか。タイピング中の表示も出る。そうして子どもたちがチャットしてるっていう話を聞いて、すごいなって。

そんな使い方をされるなんて誰も思っていなかったでしょうね。

竹丸さん:ね。でもそういう、想定されていなかった謎の使われ方をしているものって意外とたくさんあると思うんです。気がついたら本来の使い方を離れて、そっちがメインになっていたというものも。でもユーザー自身が生み出した使い方ってなんだか宝物みたいじゃないですか。

UXに関わる人や、これから学んでいきたい読者に向けて一言いただけますか。

竹丸さん:実践知を信じて欲しいなと思います。あとは「ちょっと持ったまま、待ってみる」。わからないものをそのまま持ち続けておくことって、特にビジネスの現場などではあまりされないと思うんです。でも「ネガティブケイパビリティ」という言葉もあるように、わからないことをわからないまま持つというのがすごく大事なことだと思っていて。わからないというのはすごく良いことなんです。早急に答えを出さずに「もっと何かあるかもしれない」と待ってみること。時間をかけて見つめていくと自分の中で答えが出たり、いつの間にかことが展開したり。AIは、既にあるものを学習していくもの。外からやってくる何かを、何がくるかはわからないけど待てる、というのは人間だけなんです。

アーティストとのワークショップが好きなのは、彼らが「もっと何かあるんじゃないか」と考えるのが得意な人たちだからかもしれません。自分ではここまでだと思っていても、彼らはその先へ冒険に連れて行ってくれるかもしれない。だからそういうことを体験してもらえたらなと思います。あとは、言い方が難しいですが、障がいのある方に会うのもいいと思うんです。障がいにもいろんな特性がありますが、私は彼らと一緒に活動するなかで、新しい世界の見方や、考え方を学ぶことが多いです。

おすすめの本や学習コンテンツはありますか。

竹丸さん:私が携わったワークショップの事例などを寄稿した『アートベース・リサーチの可能性: 制作・研究・教育をつなぐ』はぜひ読んでいただけると嬉しいです。
本でいうと児童書が好きなんですよね、『モモ』とか『ラチとらいおん』とか、『エルマーとりゅう』も好きです。……こんなので良いのでしょうか(笑)

最後に誰か、この人に話を聞きにいくといいよ!という人を推薦していただけませんか。

竹丸さん:岡野晃子さんを推薦します。残念ながら2023年9月に閉館してしまったのですが、静岡にあるヴァンジ彫刻庭園美術館の副館長の方で、『手でふれてみる世界』というドキュメンタリー映画の監督でもあります。

ありがとうございます! ご連絡してみます!

今回のまとめ

ワークショップなど、企画された「体験の場」を裏で支えるコーディネーターという職業を、今回初めて知りました。

・「変わっていく関係性」と「誰の欲求に基づいた企画なのか」を常に意識する

・唯一のルールは「参加者が自由に振る舞えることを保障する」こと

・そこで生まれたものを否定しない

参加者同士の相互作用が起きるよう、事前の関係性づくりも含めて環境を徹底的に整えていきながらも、本番になれば流れを見守り、場のホールドに徹する。

どうしたら一番伝わるかを考え抜き、熱い想いは持ちながらも、ゴールは設定しない。

両立がとても難しそうな二つのことを、さも当然かのように語る竹丸さん。人間性や知性に対する静かな情熱と深い信頼を感じたインタビューでした。

 

竹丸草子(たけまる・そうこ)

博士(造形)長岡造形大学大学院博士(後期)課程修了。アーツカウンシル東京に在籍。明治学院大学/長岡造形大学/武蔵野美術大学非常勤講師。NPO法人芸術家と子どもたちアドバイザー。美術教育、アートプロジェクト分野でのコーディネート論が専門。幼稚園や小学校、福祉事業所でのアーティストワークショップや障害者文化芸術支援、文化施設等で場づくりのコーディネートを行っている。また、文化芸術とさまざまな人々をつなぐ場づくりの実践にも取り組んでいる。共著に『アートベース・リサーチの可能性: 制作・研究・教育をつなぐ』、『視覚障害のためのインクルーシブアート学習』

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