結局のところ、UI/UXって何ですか?vol.11qubibiの勅使河原一雅さんに聞いてみた

May 27,2022interview

#UI/UX

May27,2022

interview

結局のところ、UI/UXって何ですか?vol.11 qubibiの勅使河原一雅さんに聞いてみた

文:
TD編集部 青柳 真紗美

デザインの現場でUI/UXを考える人々とお話ししながら、UI/UXとは何か、その輪郭をとらえていこうという当連載。mountの林さんが紹介してくれたのは、qubibi(くびび)名義でクライアントワークを手がける一方、アーティストとしても独特の存在感を放つ勅使河原一雅(てしがわら・かずまさ)さん。勅使河原さんにとって、UI/UXデザインとは。

TOP写真撮影:Kazuhisa Tanaka(取材はオンラインにて実施)

以前の記事
vol.10 mount inc.のデザイナー兼ディレクター、林英和さんに聞いてみた

UI/UXの母胎は「テーマ」

「qubibi」名義で、ウェブデザインから映像作品・ジェネレイティブアートにいたるまで幅広く手がける勅使河原さん。勅使河原さんにとって、UI/UXデザインとは。

勅使河原一雅氏(以下、勅使河原):僕はウェブデザインから入った人間なので、そもそもユーザー体験やインターフェイスはあって当然のものとして仕事をしてきました。だからこれまで「UIとは、UXとは」と意識したことがないんです。ただ、UIやUXがどこから生まれるかを辿ってみると、どんなデザインを考える時も「母胎たるテーマ」があり、そこからコンセプトが生まれている。そのコンセプトの中に、最適なUI/UXへの考慮が含まれる、という理解です。

テーマとはなんですか? 目的? 概念? どのように決めるのでしょうか。

勅使河原:僕の場合、テーマはモチーフとも置き換えられます。目的ではありませんが、概念的なものの場合はあるかもしれない。クライアントワークではその案件自体がすでにテーマを持っていることも多いのですが、共に導き出すこともあります。テーマさえ決まってしまえば、あとはそのことだけを考えていれば良い。

UIに関しては、わかりやすい/使いやすいUIが「良い」とされがちですが、僕は必ずしもそうではないと思っています。
大事なのはテーマ。そこから生まれたUIが多少、難解であってもそれはそれでよくて。そこからその難解なUIをどうフォローしていくかを考えることはできるので。

「難解なUIでもよい」。

勅使河原:はい。わかりやすくすることや心地よくすることがUIの理想とは言い切れないと思います。
その日の気分で食べたいメニューが違うように、ちょっとガサついてるとか、ぬるっとしてるとか、やけに確認してくるとか、いろんなUIの在り方やインタラクションがあってよい。難解だから良いということでもなく、あくまでもそれはテーマに紐付いている必要があります。

UXについてはどうですか。

勅使河原:UXとは体験を指している言葉だと思うんですが、改めて考えてみると、体験とは時間ですよね。だから、UXを考えることは「ユーザーにどういう時間を与えられるか」を考えることではないかと。ウェブサイトに限らず、ただ要素を並べているだけでは体験は生まれません。そこに時間が与えられることで体験となる。
ユーザーが「これはなんだろう?」と想像することで時間が生まれる。そのための時間を設計しています。

想像するための時間を設計する、ですか。そのために勅使河原さんはどんな作業をしているのでしょう。

勅使河原:例えばずっと見ていたい色や聴いていたい音、一見よくわからなくてもふと触れてみたくなるものが出来たら、そこから時間も作られていくのかなと。言い換えればユーザーを引き止めるための細かい工夫の積み重ねをしているのだと思います。

『オンガクミミズ』
「AUDIO ARCHITECTURE:音のアーキテクチャ展」出展作品 (2018)
以下、作品画像はご本人提供
例があれば教えていただけますか。

勅使河原:『DAYDREAM』を見ながら話してみましょうか。Weave Toshiという帽子メーカーのブランディングウェブサイトで、2006年に公開されたものです(※現在は公開終了)。

『DAYDREAM』(2006)
D&AD イエローペンシル、カンヌ広告祭金賞受賞

このサイトの目的は帽子を魅力的にみせることでした。多方向から帽子を眺める為のインタラクションを考えるうちに、くるくる回る人形のイメージが思い浮かんだんです。そうして「鳩時計」をテーマとして扱うことにしました。時計の針の回転と時間の進行に、カーソルの挙動と、コマ撮りした帽子やモデルの動作を重ね合わせたんです。ただ、当時このようなカーソルを回転させるような挙動のインタラクションは他に無く、その仕組みを説明せずにどう伝えるかというのが、僕なりの工夫のしどころでした。

例えばそれは、オープニングからの導線や、カーソルの先端を少し曲げることであったり、仕組みがわからないとしてもなにかあると思わせるだけのクオリティや、世界観作りといったものが挙げられると思います。なにか一つというわけではなく、いろんな要素の積み重ねにより、ユーザーが「これはなんだろう?」と想像できるだけの時間を確保するというか……。

全部、このように要素を用意するのでしょうか。

勅使河原:達成すべきゴールや、目的の有無によって変わってきますね。
例えば、2021年に発表したオリジナル作品の『Door』は、そうしたユーザーに向けたフォローをしていません。

インタラクティブ作品『Door』(2021)

クライアントワークではないから、わからせる工程をはしょってる部分はあるけれど、それよりは時代的に、ユーザー側のインタラクティブなものに対する経験値が高まっていることが大きいかもしれない。今は、目の前のスクリーンにドアが掲示されたら「なにかあるだろう」とユーザーがあれこれ触りだすと思うんです。その過程で気づけばそれで良い。自分で仕組みを探っていく方が楽しいですから。

僕は昔から、目的がないんだけど、ずっと見ちゃう、ずっと触っちゃうというものが好きなんです。逆にいえば、目的がないのにどうやってそれを叶えるか、ということが自分の課題としてずっとある。Doorもそうしたものになれたら良いと思って作っていますし、他にも最近でいうと『みちっぽ』という子供向けアプリ作品がそう。シンプルなおもちゃを子供が延々と触るような光景に憧れます。ただただそういうことでその人の時間を吸い込むようなものを作れたらと思ってます。
その為にやっていることはDAYDREAMとそんなに変わらない。動作に対する変化の幅やクオリティといったもので、ユーザーを引き止めたいと思ってるんです。

道をテーマにした子供向けアプリ作品『みちっぽ』(2019)
デジタルえほんアワード2020入選
ご自身の作品・プロダクト以外で「このUI/UXはすごい」と思う例があれば教えてください。

勅使河原:ウェブサイトではないんですけど、「地図」ですかね……。
ディズニーランドで地図を受け取ったら、目的地にどうやって行こうか、そこで何をしようか考えるじゃないですか。しばらく歩いては立ち止まって、地図と自分の位置とを照らし合わせてみる。地図と現実との往復による体験はとても面白いと思います。

否定の連続が終着点に繋がる

UI/UXに限らず、デザインするときに大切にしていること、ルールはありますか。

勅使河原:大切にしているという主体的なものではないんですが、作業している時に「これではない」という強い否定にぶち当たるんです。そこから進む方向を変える。でもしばらくするとまた「これではない」がやってくるんですよ。この繰り返しです。そうこうしてるうちに、以前否定したものが良く見えたりすることもあります。同じものを前にしても立ち位置が違うとその背景が変わったりするからかな。そうした否定の連続により終着点に導かれている気がします。でもこれって、自分の感覚や記憶に従っているだけかもしれません。

感覚や記憶に従う……もう少し、何かありませんか。「否定の連続」の状態に入るためにどんなことを考えていますか?

勅使河原:僕自身がテーマに強く執着することでしょうか。テーマに取り憑かれたようになると、そうした否定も強くなり、そこから自然と連続的な試行錯誤が始まります。だから、執着できるという状態が大切で、そうなれば、あとはそれが神様みたいになって、僕はしもべのように働く。テーマが自分にとって魅力的じゃないと執着できないかもしれないですね。

デザインとの出会いは?

勅使河原:完全になりゆきなんです。中学卒業後、進学せずにしばらく日本橋の生地屋さんで職人的な仕事をしていました。でも機械化が進んでいた分野で、どんどん縮小して食べていけなくなった。手に取ったアルバイト雑誌のはじっこに「面白いことしませんか」と書かれた求人広告を見つけました。
採用されてわかったのは、そこは違法なアダルトコンテンツを作る会社。いろいろあって二週間で辞めたんですが、その期間でフォトショップの合成がすごく上手くなったんです。

そのあと大手出版社の制作スタッフに応募したら、なにかの間違いでデザイン担当になり、作ったデザインが評判になり……。流れで小さいデザイン会社に転職したら、某ショッピングセンターのWebサイトのコンペで僕が提案したデザインが通って、アートディレクターとして働き始めて。そのあたりが本格的なスタートですかね。

だからデザインに対する熱い想いとかは全然なかった。ただ「面白いな」という気持ちはずっと抱いていました。飽き性なんですが、デザインにだけは飽きずに夢中になっていました。

現在はアーティスト活動も並行していますね。

勅使河原:独立してからはデザインというより広告の仕事に関わるようになったんですが、体調を崩したりなんだりしているうちに踏み外してしまった。作家活動のきっかけをくれたのは実は中村勇吾さんなんです。彼が作ったアートレーベルで、スクリーンメディアを使った作品を「何か作ってみてよ」と。あれが、自主的に作った最初の作品です。

アプリケーション作品『Swimmer』(2009)
スクリーンアートレーベルSCRよりリリース
「ミミズの反物」(2021)
などや恵比寿全体を使った個展
勅使河原さんだからこそ可能なデザインはありますか。

勅使河原:僕だから可能、というものはないと思います。ただ、僕にくる依頼は変わっているものが多い。僕自身もできるだけユニークでありたいです。ひねくれているし、負けず嫌いなので他の人がいる場所にはいたくないです(笑)。

人間の物事の捉え方って相対的だと思うんです。暗闇だからこそ明かりが見えたり、白いからこそ黒い部分が見えたりする。わからないからこそ、わかることが引き立つ。作品もプロダクトも、その相対的な関係性の中で広がっていくものだと捉えています。それを尊重して振り子のようにあるべきなんじゃないかなって。
常に違うところを行ったり来たりしながら揺れ続けることは、ある意味で世界を豊かにしているとも言える。そういうことを大切にしたいです。

特に意識はしていないんですが、作品を通して見る人をひとりにするような傾向はあるかもしれません。それが不特定多数に向けて作られたものであったとしても、見る人と作品、個と個で向き合える時間をつくりたい。

「ひとりにしない」ではなく、「ひとりにする」。それはまたどうして?

勅使河原:僕の原点にあるのがテレビゲームだからかも。子どもの頃はなかなかおかしな家庭環境で、部屋の電気を消してずっとファミコンをやっている日々でした。それしかやることが無かったというのはあるんですが、好きだから遊んでいたし、プログラミングへの興味もその当時に生まれたのかもしれない。遊んでいる最中は夢中になれるし、そうして良くも悪くもゲームに時間を吸われることで救われた経験があるから、自分も作品を通してそれと同じことをしているのかなって。

「告白」ASA-CHANG&JUNRAY Music Video(2016)

道が用意されていない体験を

1日の過ごし方を教えてください。

勅使河原:波があって。やれないときはずっとやれないですが、そうでないときは机にこびりついていますね。調子が良いと寝なくても平気です。換気扇の下でタバコを吸って、机に戻る。その往復しかない(笑)。
でも基本的に作業中はすごく気が散るので、どうすれば気が散らなくなるかを考えて試し続けてるかもしれない。作業する場所を変えたり、椅子を変えたり、あとは適当に散歩したり、僕自身はそうしたなにもない毎日が普通なんですが、19歳になる息子からすると、本当に一日なにやってるの? という印象みたいです。

昔はよく音楽を聞いていたのですが、最近はパンデミックや戦争などでちょっとしんどくなってきて、ずっとサンドウィッチマンさんのポッドキャストを聞いています。彼らが馬鹿笑いすると、なんで笑ってるのかわからなくても、僕も馬鹿笑いしています。超おすすめします。

若手のデザイナーさんや、学生さんへのアドバイスをお願いします。おすすめの書籍などもあればぜひ。

勅使河原若いうちに、道が用意されていないような体験を出来る限り多くすると良いんじゃないかなって。たぶん、今って普通に生活してるだけだと最適化されて道が用意されている状況が多いと思うんです。例えば「課題に取り組む」という状態は、道が用意されているということ。だから意識的に、旅だのなんだの、先が良くわからない状況に自分を置けたら良いと思います。
若い人へのメッセージって結局のところ「生きていってほしい」に尽きると思うんです。だからひたすら経験値を上げていってほしい、それが生きていくすべになると思うので。……でもこう話すとなんか違うかも。なにかの為と思って取り組むのはなにかの為にならないかもしれない(笑)。

おすすめの書籍はブルーノ・ムナーリの『ファンタジア』(みすず書房,2006年)です。ものを作る人はみんな、とりあえずあれを読んでおけばいいんじゃないかなと思うくらい。創造性について考えるきっかけになるし、こういうことで良いんだと気楽になる場合だってある。
あとはUI/UXに関連しているところでいうと、元永定正さんの絵本です。『もこもこもこ』(文研出版,1977年)や『もけらもけら』(福音館書店,1990年)が有名ですが、ちょっと触ると何かがぽこっと出てきたり。その感覚が抽象的に描かれています。元永定正さんの本に限らず、絵本は良いものです。

本でいうと、「クリエイティブっぽい本」しか読まないとつまらなくなっていくと思うので、幅広く読んでいくのをおすすめします。漫画や雑誌、くだらなくてもなんでも良いと思います。

今後やりたいことはありますか。

勅使河原:全くないですね。ただ、作るからには「こうではない」というのが自分の中にあるので、それに従ってやっていく、というだけ。あとは食べていければいいです。
近々では、去年からずっと作っているものがあって、それを完成させなきゃいけないです。制作に難航していて遅れに遅れているのですが、あまり他にないものを目指して奮闘しておりますので、どうぞお楽しみに!

次にお話を聞きにいく人のご紹介をお願いします。
勅使河原:雑誌『Web Designing』の元編集者、毛利慶吾さんはどうでしょうか。古くからウェブデザインをやっている人なら皆知っているような人で、人生の歩み方もとてもユニークです。
今は福岡でご夫婦で素敵な事務所を開いていて、企業のブランディングを手掛けています。僕が今難航してる案件の依頼主なんですが、一歩引いた面白い話を沢山聞けると思います。是非インタビューしてほしいです。
現在開発中の「Fantaman」(fantasiaコーポレイトサイトにて公開予定)
わかりました。ありがとうございます!

今回のまとめ

Webデザインや広告の現場を経て、現在はクライアントワークと作家活動を同時に手がける勅使河原さん。今回はインタラクティブなものに絞って聞きましたが、その作品群はアートのようにも見えて、触ってみると愛着を感じる、なんども繰り返し触りたくなる……UI/UXとは少し離れますが「遊び」を抽象化するとこんなかんじなのかも、と考えながらお話を聞いていました。

・「母胎たるテーマ」からコンセプトが生まれる。その中で何が最適なUI/UXかを考慮する

・UIはテーマに紐づいて考える。使いやすさ/わかりやすさだけが指標ではない

・UXを考えることは「ユーザーにどういう時間を与えられるか」を考え、そのための要素を検討すること

印象的だったのは「テーマに執着すれば、そこから始まる否定の連続が終着点に導いてくれる」という考え方です。インタビューで聞いた時はうまく咀嚼できませんでしたが、改めて考えると、デザインに限らず全ての仕事やプロジェクトに共通することなのでは、と。

妥協することなく否定と肯定の間を動き回り続ける。効率的ではないけれど、結局のところ、何かを生み出す行為はその繰り返しに帰着するのかな、と思ったりもしました。

 

勅使河原一雅(てしがわら・かずまさ)

アーティスト、映像作家、ウェブデザイナー、多摩美術大学統合デザイン学科非常勤講師。 ウェブデザイナーを経て2006年に「qubibi」を屋号に独立。2009年より作家活動を開始。主な活動として、ミミズの反物(2021/東京)、音のアーキテクチャ展(2018/東京)、Qubibi Exhibition(2017/チューリッヒ)などの展覧会に参加。D&AD、カンヌ国際広告賞、One Show Interactive、文化庁メディア芸術祭など国内外での受賞歴多数。1977年東京生まれ。

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