はじめての美術館と対話型芸術鑑賞|子どもと歩くアートの世界 vol.1

Aug 09,2019report

#interactive

Aug09,2019

report

はじめての美術館と対話型芸術鑑賞 |子どもと歩くアートの世界 vol.1

文:
TD編集部 青柳 真紗美

夏休みの親子散歩に、涼しくて刺激的な美術館はどうだろう? TD編集部青柳が4歳の息子とともに美術鑑賞の楽しみ方を模索する。子どもが生まれてアートから遠ざかってしまったという人にも、子どもと一緒にアートと向き合ってみたいという人にもおすすめできる「対話型美術鑑賞」をご紹介。

実践レポート:「奥入瀬<春>」から聞こえた木々の会話

土曜日の午前中。山種美術館はすでに賑わっていて、受付では2組ほどがチケットの購入に並んでいた。20代くらいの若い人も多く、地域柄か外国人のお客さんもちらほら見かける。

「4歳の息子と見たいんですが、小さい子が入っても大丈夫な雰囲気でしょうか?」

念のため受付で聞いてみると、スタッフの方はにっこり笑って「もちろん」と答えてくれた。

「今日はあまり多くありませんが、お子様連れのお客様や、ベビーカーを押して来るお客様もたくさんいらっしゃいますよ。エレベーターも完備していますから、遠慮なくお使いください。中では、走ったり作品に触れたりといった、大人の方にもご遠慮いただいている行為だけ、気をつけていただけたらと思います」

地下に展示室とショップが併設されている。カフェも賑わっており、子連れでも散歩の延長で立ち寄れる雰囲気だった

年齢にもよるだろうが、小さな子どもは特に、非日常の空間に興奮しがちだ。だからこそ、入る前の「心の準備」が必要である。

「今から、たくさんの絵が飾ってあるお部屋にいきます。みんなが絵を見ながら、ゆっくり考え事をする場所です。びっくりしちゃうから、ゆっくり歩いて、ありさんの声(注:小さな声のこと)で話そうね」

もし飽きてしまったら、すぐに出てこよう。そう決心して展示室に足を踏み入れる。

今回の展示は山種美術館 広尾 開館10周年の記念展示。収蔵されている「花」が描かれた作品を一堂に会した、貴重な機会だ。順路を一巡すると季節の花々とともに春夏秋冬の移り変わりを感じることができる。江戸時代から近代以降のものまで全部で60点あまりが展示されていたが、日本画に詳しくない私の目にも、華やかさと精巧さが鮮やかに映った。

最初に目に留まったのは横山大観(1868-1958)の「山桜」だ。日本画に詳しくない私でも、横山大観という名前は聞いたことはある。
「これは何の絵だろうね?」と私が尋ねると、息子は少し考えて「ゆき!」と答えた。どうやら白い桜の花を雪だと思ったらしい。

もう少し突っ込んでみたかったが、この絵にはさほど興味がないようで、息子は私の手を振りほどいて先に進んでしまった。

そして、一枚の絵の前で足を止めた。奥田元宋(1912-2003)の「奥入瀬(春)」である。

山桜が残るなか、初夏の訪れを感じさせる生き生きとした緑。雪解けを終えたからか豊かに勢いよく流れる川の描写からは、今にも水の音が聞こえてきそうなほど。なによりも特徴的なのはそのサイズだ。壁一面に広がる大作で、今回の展示の中でも群を抜いて存在感を放っており、じっと見つめると渓谷の中に立っているような錯覚を覚えた。

さっそく対話型鑑賞を開始する。

「これは、何の絵だろう?」

「木!」

「木の絵か。何をしているところ?」

「この木が、むこうの木と、おはなししているの。きょうもたのしいね、って」

完全に親バカだと思うが、言われてみればそんな風にも見える。正面右手に描かれた木が、中央の山桜に向かって話しかけているようだ。木々や、地面に咲く花たちが満開を迎えたことをお互いに報告しあっているようだ。

対話型美術鑑賞を通して自分に生まれた変化

「他にも、声が聞こえるかな? どんなお話をしているのかな?」

「おしさしぶりねぇ、って!」

どこかで聞いて覚えてきた「おしさしぶり(お久しぶり)」という言葉が、この絵から聞こえたのだ……! 私の方が楽しくなってしまい、息子が立ち止まって見つめた絵について、次々に「これは何だろう?」「何してるんだろう?」と尋ねていった。

息子は、私が何かを尋ねても、こちらが思うような反応を返してくる事はほとんどなかった。どちらかというと、細かい部分や小さな発見から物語を展開し、それを一生懸命に伝えてくる。
上野氏によると、幼児や幼少の子どもにとっては美術作品を見て自分の意見を持ち、発表することだけで良い、という。

解説付きの美術鑑賞は教養を高めてくれて、1つ賢くなったような気になるが、息子と対話しながら作品をみるのはその数倍面白い。今まで「作者の意図を理解できなければ芸術鑑賞としては不完全だ」と思っていた私にとって、非常にエキサイティングな時間となった。

何より驚いた変化が「理解できそうにない作品」にも、今後息子とともに対峙してみたいと思ったことだ。私自身が、アートに対してそんなチャレンジ精神を持つ日が来るなんて思ってもみなかった。

対話による意味生成的な美術鑑賞

『風神雷神はなぜ笑っているのか』の中で、上野氏は以下のように語っている。

対話による美術鑑賞の基盤にあるのは、美術作品にまつわる歴史や作家の情報を教えることを中心とするのではなく、作品に対する自分の見方、感じ方や考え方を他者と交流し、対話を通して個々の見方を深めたり広げたりしながら集団で意味生成することに重きをおくという考え方である。

もしかするとこれは「正しい答えのない世界」を生きていくためのサバイバルスキルであり、大人にこそ必要なトレーニングなのではないか。

上野氏がいう「対話を通して個々の見方を深めたり広げたりしながら集団で意味生成する」ためには、前提として「個々の見方」がなければ成り立たない。現代社会においては、キーワードや画像から関連情報を一瞬で検索できるから、答えが決まっている問題を解く難易度は下がった。
対照的に「その人独自のものの見方」がより価値を帯びるようになったが、それを言語化し、発信することを多くの人は躊躇する。正解がない世界でも正解を探してしまうのは、子どもたちよりもむしろ大人の方なのかもしれない。

「子どもと歩くアートの世界」。気軽にタイトルにつけてみたが、覗いてみると奥深い。次回は、自宅で「対話型美術鑑賞」を試みたときの様子をお届けする。

 

この記事を読んだ方にオススメ